シーゲル博士によるバリュー投資の研究によって、タバコ企業が高いリターンをもたらしていることが明らかにされています。そのタバコ企業の中でも、アメリカのフィリップモリス社とイギリスのブリティッシュアメリカンタバコ社(BTI)は、バリュー投資家にとって欠かすことのできない銘柄です。
目次
タバコ王デューク
20世紀はじめのタバコ市場
現在、タバコ業界は栄枯盛衰のほとんどない成熟した寡占市場となっています。しかし、20世紀初頭は、タバコ業界は急拡大する成長産業でした。その成長市場では、多くの企業の勃興し、そして消滅していきました。
現在、タバコ市場の頂点にはフィリップモリス社とブリティッシュアメリカンタバコ社(BTI)の2社が君臨しています。しかし、20世紀になったばかりの1901年には、アメリカにはまだフィリップモリス社という企業は存在しなかったのです。さらに、イギリスにおいてもブリティッシュアメリカンタバコ社(BTI)もまた設立すらされてなかったのです。
当時アメリカのタバコ市場の覇権を握っていたのは、今は消滅したアメリカンタバコ社でした。アメリカンタバコ社は、かつてタバコ王との異名をとったジェームズ・デュークによって創業され、短期間にアメリカのタバコ市場の大半を支配することに成功したのです。
デュークによるアメリカタバコ市場の支配
まず、タバコ王デュークの足取りを見てみましょう。
19世紀末アメリカで、それまで職人の手作りだったタバコ生産の機械化が成功しました。デュークはいちはやくその機械を大量導入し、安価でのタバコの大量生産を開始します。
さらに、デュークはその大量生産されたタバコの需要拡大のために、積極的に大衆消費市場を開拓していきます。まず、新聞雑誌やスポーツイベントのスポンサーとなり大々的な宣伝戦略を行いました。さらに、パッケージへ女優や歌手のカード封入するなど巧みな販売戦略を実行していきます。
その上、ダンピング攻勢により、アメリカ内の他社を窮地に追い込み、最終的に買収していったのです。このようにして、デュークはアメリカのタバコ市場をほぼ手中に収めることに成功しました。デュークは、1890年には支配下の企業をアメリカンタバコ社に統一し、タバコ王との異名をとるようになったのです。
デュークのイギリス進出
しかし、デュークの野望は留まることを知りません。アメリカンタバコ社を足がかりに、世界の市場を支配下におくことを目論みます。先ずは、イギリス市場に狙いを定めることになります。
当時はまだアメリカの時代ではありません。七つの海を支配する大英帝国、つまりイギリスの時代でした。世界中に植民地を保有するイギリス市場を押さえるなら、文字通り世界市場を押さえることなります。しかし、当時イギリスは国外タバコには高い関税を課していました。そのために輸出により市場を開拓することは不可能でした。
デュークは、1901年イギリスのリバプールにあるタバコ企業を買収します。そこを足がかりにイギリスのタバコ市場の戦いを挑むことにしたのです。
デュークの野望を察知したイギリスの大手タバコ企業13社は、会合を開きインペリアルタバコ社を設立しました。さらに、アメリカから企業買収の専門家を招き、デュークに対する迎撃体制を整えました。
デュークは、ロンドン中の買収できる企業をしらみ潰しに探し、中堅タバコ企業を次々と買収していきます。そのようにして、デュークは、インペリアルタバコとの対決姿勢を鮮明にしていきます。
イギリスのインペリアルタバコも逆に、アメリカ本土での中規模のタバコ企業の買収に乗り出し反撃に出ます。
デュークはかつて競争相手を破綻に持ち込んだダンピングによって、インペリアルタバコのアメリカ進出に対抗します。しかし、デュークの戦略を研究しつくしていたインペリアルタバコはデュークとの消耗戦には乗りません。値引きによる消耗戦を避け、流通網を押さえることにでデュークと対抗しようとしたのです。タバコの卸売や小売とボーナス特典のある独占契約を結んで、デュークのアメリカンタバコの流通を分断する作戦に出たのです。
デュークの裏をかくようなイギリス側の戦略に、デュークは次第に苛立ちをつのらせていきます。さすがのデュークも、イギリス側が今まで手玉にとってきた企業とは異なり、一筋縄ではいかない相手であることを理解するようになったのです。
そのとき、デュークのもとに、イギリス側から交渉の使者が訪れます。今までとは異なる手強い相手に、さすものデュークもそのまま争いを続けるよりも手を組んだ方が利益になると考えました。
デュークのイギリスとの交渉
長い交渉の結果、両者でそれぞれのテリトリーは進入しない協定が結ばれました。
さらに、それ以外の市場開拓のためにブリティッシュアメリカンタバコ社(BTI)が合弁で設立されました。
ここに、イギリスのタバコ市場を支配するというデュークの戦略は潰えました。しかし、イギリス側と手を組むことで、世界のタバコ市場を勢力下に置くという新たな野望を実現する体制がいよいよ整うことになったのです。
ロンドンの片隅にある家族経営のタバコ店
そのような巨大資本の動きをよそに、まるで時間が止まったかのような小さなタバコ職人の店がロンドンありました。デュークの眼中にすら入らないロンドンの片隅で、家族経営によりひっそりと納得のいくタバコをつくっていました。小規模ながらもトルコやエジプト、ロシアからも職人を招いてこだわり持ってタバコをつくる職人気質の店だったのです。
そのタバコが一躍世界に知れ渡ることとなりました。高品質が認められ、イギリス王室の御用達となったのです。その名声から規模を拡大し、ニューヨークにも出店することとなりました。
1919年にその店はアメリカ人実業家の手にわたります。本社もアメリカに移動することとになりました。アメリカ人実業家は、買収したタバコ店の持っていたあるタバコに着目し、大々的な販売キャンペーンを開始しました。『マールボロ』というタバコです。そうなのです。ロンドンの片隅にあったタバコ職人の店こそ、今のフィリップモリスなのです。しかし、当時はまだ、フィリップモリスはアメリカでのシェアが1%も満たない弱小企業の1つに過ぎなかったのでした。
タバコ王デュークの栄華
一方、デュークは、イギリス側と合弁で設立したブリティッシュアメリカンタバコ社(BTI)を足がかりに、世界のタバコ市場を次々にその勢力下のおいていきます。さらに、イギリス王室からもナイトという最高位の称号を預かることになりました。アメリカ市場を手中に収め、かつては敵対していたイギリスからも最大級の栄誉を授かり、もはやデュークの行く手を阻む者は誰もいないようにみえました。しかし、その時を頂点にデュークの栄華は崩れ始めたのです。
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