前回、1929年の『暗黒の木曜日』という歴史的な株式市場崩壊に至るまでの経過を記事にしました。
『暗黒の木曜日』前の株式市場については空前のバブルと思われているかもしれません。しかし、暴落直前のPERは15のバリュエーションに過ぎなかったのでした。
今回、そのバリュエーションに関する解説をしていきます。
目次
1929年『暗黒の木曜日』前の、高くないPER
アメリカ議会に提出されたPER15の資料
1929年の大暴落前のPERが15というバリュエーションは、アメリカ議会に提出された資料がもとになります。1930年代の大恐慌を引き起こした株価暴落を検証するために、コールズ・コミッション研究所によってまとめられたデータです。(『チャートで見る株式市場200年の歴史』から引用)
コールズ指数という聞き慣れない指数があります。しかし、それはS&P500とほぼ同じと考えて差し支えありません。
S&P500が正式な指数として導入される1957年です。それ以前は、コールズ指数が使われていました。しかも、コールズ指数からS&P500指数へ移行するにあたり、連続性があるように設計されていました。
当時の経済学最高権威者フィッシャー教授のPER13という資料
それ以外の研究資料も記載していきましょう。
まず、当時アメリカで最も権威のあった経済学者はイェール大学のアービング・フィシャー教授です。
フィッシャー教授の資料では、暴落前の1929年10月のPERは13と記載されています。
1927年は20倍であったPERは、それから2年後の1929年の大暴落直前にはPER13にもなったのです。それは、株価は30%上昇したものの、企業収益はそれ以上に上昇したからに他なりません。
フィッシャー教授は1929年の9月に『株価は、恒久的に高い高原のようなものに到達した』と有名な発言をしています。
1929年の『暗黒の木曜日』以降も、PERが10.8と低いバリュエーションのために、株価は早急に回復すると主張しました。結局、その発言は、大恐慌が助長される原因の一つとなり、名声を傷つけることになりました。
しかし、大恐慌後の物価安定等の経済政策ために尽力するとともに、1935年の困難な時期にアメリカ経済学会会長にも就任しています。確かに、非難されることがあるかもしれません。しかし、発言は学者としての良心に基づくものであり、ねつ造等の不正の痕跡は一切認められません。
ノーベル経済学賞受賞者シラー教授のPER17というデータ
ロバート・シラー教授も当時の暴落直前のS&P500のPERについて17とはじき出しています。
先ほど述べたようにS&P500が正式に採用されたのは1957年です。そのために、1929年のPERはシラー教授が多くの資料をもとに計算した参考値です。
ロバート・シラー教授は、2013年にノーベル経済学賞を受賞するとともに、シラーPERの考案者としても知られています。
シラーPERは、過去10年間の1株あたり純利益の平均値をインフレ率で調整した実質純利益でPERを計算します。
景気により循環する業種では、好景気のピークには極めて高い利益がもたらされ、PERは低くなります。逆に不況では、ほとんど利益が出ないために、PERが高くなります。そのような景気によるバイアスを調節し、株式市場の加熱の程度を評価するために、10年での平均での利益を基礎にすることにしたのです。
1929年のシラーPERは30と極めて高い値となります。
シラーPERがどこまで有用かは論者によって異なります。大切なことは、なぜシラー教授がシラーPERを開発したかということです。
もしも1929年で、通常のPERが30を越えるような値であったとすれば、わざわざシラーPER開発する必要はなかったのです。通常のPERでは市場の加熱ぶりを説明できないからこそ、シラーPERを開発する必要があったのです。
その他、ほとんどの学者の集計でもデータではPERは13から17の間に収まっています。
株価よりも向上した実態経済
その株価の基礎となる実態経済についても検討してみましょう。自動車販売数のグラフを記載してみます(『世界大恐慌 1929年に何が起こったか』引用)。
株価指数の伸びた1929年に、自動車販売もピークを付けています。また、その伸びについても同じです。そこから、株価指数と自動車販売数は連動していることは確認できます。
当時の株式市場は、実態経済とかけはなれたバブルではなかったのです。株式市場は、実態経済を適切に反映していたに過ぎません。バブルであったのは実態経済の方でした。大衆が割賦販売等の普及により経済力以上の消費に傾いたことにより、空前の企業利益が計上されたのでした。
むしろ、株価は企業業績の著しい向上に追いついていないとも言える状態だったのです。
バブルと記載している歴史書
しかし、多くの歴史書には、当時が実態経済からかけはなれたバブルであったと記載されています。そこで頻繁に引用されている文献は、ウィグモア氏の1985年に出版された『The crash and its aftermath』です。そこには、当時の株価がPER30と過剰なバブルであったと記載されているのです。
その著者であるウィグモア氏は、他の論者と異なり学者ではありません。何とゴールドマンサックスの投資ディーラー出身なのです。
歴史家は、自分の考えるシナリオの沿った資料を引用したい誘惑に駆られるのかもしれません。当時の株価をバブルと表現する方が、歴史書としての流れが格段に良くなるのでしょう。だからこそ学者でもないウィグモア氏の記述が頻繁に引用されているのと思われます。
内容の正確さはともかくとして、著名学者や議会での資料を押しのけて引用されるマーケティング能力は、流石ゴールドマンサックス出身と関心せざるえません。
投資銀行ゴールドマンサックス
世界最強の投資銀行
読者の方にはゴールドマンサックスについては、ご存じでない方もおられるかもしれません。彼らのことを知っても何のメリットもないですが、向学のために説明してみましょう。
ゴールドマンサックスは、ダウ平均銘柄でもあり、世界最強の投資銀行とも言われています。その情報網や、卓越したトレーディング能力、そして政財界への太い人脈は、他の銀行を寄せ付けません。
オリンパス不正会計で巨額の利益を得たトレーディング能力
そのゴールドマンサックスの能力は、2011年のオリンパス不正会計事件でも遺憾なく発揮されました。
2011年4月に、オリンパス社長にイギリス人のウッドフォード氏が就任します。そこで、オリンパス社の企業買収での不透明な取引と会計処理問題を見つけました。
10月11日に、ウッドフォードCEOは、不透明な企業買収により会社と株主に損害を与えたとして オリンパス会長および副社長の引責辞任を促す書簡を送りました。
その翌日の10月12日に、ゴールドマンサックスはオリンパスを格上げするのです。
『オリンパスが急反発、ゴールドマン証は買い判断に格上げ、目標株価も3800円に引き上げ』という記事を引用してみます。
オリンパス <7733> が急反発し、一時153円高の2526円を付ける場面があった。12日の欧米株高や円高修正の動きを背景にした輸出関連株買いの流れに乗ったうえ、ゴールドマン・サックス証券が12日付で投資判断を「中立」から「買い」(コンビクションリストに採用)、目標株価を2400円を3800円に引き上げ、株高を促す要因となった。
同証券では、軟性内視鏡市場における圧倒的な競争優位性から、今後2-3年で同社の収益構造は大幅に改善すると予想している。また、市場が同社のポテンシャルを織り込みきれていない現段階からの保有を推奨したいとしている。
前場終値は117円高の2490円。
その格上げ直後、ゴールドマンはオリンパス株の空売りを仕掛けていくのです。最終的には、20億円を越える利益を上げることになります。
夕刊フジの『暴落”オリンパス株で利益20億円超 ゴールドマン凄すぎる手口』という記事を引用してみます。
この1カ月、オリンパス株の暴落で多くの株主が損失を抱えたが、世界最強の投資銀行と呼ばれる米ゴールドマン・サックスはひと味違った。株価の下落でも儲かる「空売り」をいち早く仕掛け、底打ち直前に買い戻すという売買を神業のようなタイミングで実行した。一連の取引で22億円前後の利益を上げたという計算もできる。その凄すぎる手口とは?
オリンパスをめぐる騒動の発端は10月14日、マイケル・ウッドフォード氏(51)が突如、社長を解任されたことだった。ゴールドマンはその前日の13日、オリンパス株を約83万株空売りしている。同日の終値2482円で計算すると20億円超の売りを一気に出したことになる。
空売りとは株を持たずに、ほかから借りてきて売却すること。株価の下落が予測されるときに使う手法で、値下がりした際に買い戻すことで、その差額が利益となる。
東京証券取引所は証券会社などが空売りした銘柄や株数の残高を日々公表している。それをみると、ゴールドマンは13日以降、一定程度買い戻しながらも、空売りを増やし続けている。
この手口について、ある国内証券マンは「ウッドフォード氏が経営陣を告発するのを聞いて、事態は深刻ということで、どんどん売りを増やしていった印象だ」と解説する。
オリンパスが損失隠しを認め、株価がストップ安の734円まで下落した11月8日の時点で、ゴールドマンによるオリンパス株の空売り残高は194万株とピークに達した。ところが株価が584円まで下落した翌9日の時点で残高は4万株強にまで一気に激減する。この時点で大量に買い戻したということになる。
同社の株価は11日に460円まで下げたが、週明け14日には上場維持観測が広がったことからストップ高の540円まで反転した。ゴールドマンは暴落前に空売りを入れて、底打ち直前に買い戻している。
この間の収支を終値ベースで計算すると、オリンパス株を空売りした額は約40億円、一方で買い戻した額は約18億円。実際には、現物株の買いなどを組み合わせている可能性もあり単純ではないが、空売りと買い戻しに限れば、差し引き約22億円の利益と計算できる。
前出の証券マンは、「株価の下値メドはまず半値、次は八掛け、そして2割引とされる。上値を2000円とすると下値は640円。投資の基本に忠実に買い戻したとも考えられる」という。
2011/11/15 夕刊フジ
オリンパスを格上げすることで多くの個人投資家の買いが入った直後に、空売りで巨額の利益を得ているのです。その手法からもゴールドマンサックスのすばやい機動力と、卓越したトレーディング能力が理解できると思われます。
リーマンショックで最高益をあげたゴールドマンサックス
ゴールドマンサックスは、サブプライムローンでも同様の手法で大きな利益を上げています。
2007年に、ゴールドマンサックスは、サブプライムローンを安全な高利回り債券として顧客に販売していました。しかも、業界のトップ10位にランクされるほど積極的に取り組んでいたのでした。
リーマンショックの引き金が、サブプライムローンであったことは記憶に新しいと思われます。
リーマンショックでは、モルガンスタンレー、メリルリンチ、シティバンクも巨額の損失に見舞われ、存続の危機に立たされます。
しかし、そうした中でゴールドマンサックスは大きな利益をあげたのでした。それは当時通期純益は116億ドルにものぼり、日本円にすると1兆円近い額に相当するのです。しかも、リーマンショックの渦中あって前年を22%も上回ったのでした。
その好業績の理由は、顧客にサブプライムローン債券を売りながら、手持ちのサブプライムロー債権すべて売却するとともに、サブプライムローン債券の空売りも仕掛けたのです。その結果、莫大な利益を上げることに成功したのです。
つまり、顧客の犠牲のものに、巨額の利益を得たのです。
1929年がバブルとしたいゴールドマンサックスの思惑
今回、改めて前回の『ハイテク株式市場の死角 その1』で引用した『FAAMG銘柄はバブルにあらずー過去とは異なるとゴールドマン』の記事を再度確認してみましょう。
ストラテジストのピーター・オッペンハイマー、ギョーム・ジェソン両氏はリポートで、「90年代のハイテク株人気とは異なり、こうした株価上昇は将来を巡る臆測ではなく力強いファンダメンタルズや収入、収益で主に説明できる」とし、「バリュエーションがさほど膨らんでいないことを踏まえると、株式市場における群を抜いた規模とリターンへの貢献がすぐに終わることはないだろう」と指摘している。
もしも、1929年の株価のPERが15なら、その論法は通用しなくなります。
現在のハイテクによる株高がITバブル時代とはことなるものの、1929年と類似が多いということはゴールドマンサックスにとって不都合であることは明らかです。まだPERが低いので安全という説明で金融商品を販売することに支障をきたすからです。
結論
確かに、今回のハイテク株の高騰は、ファンダメンタルズが良好で割高ではないことから2000年のITバブルとは明らかに異なります。しかし、だからこそ1929年との類似が鮮明となってくるのです。
さらに1929年の株高は実態経済に即した株高だったからこそ、その後暴落の影響はより深刻な事態を引き起こしたのです。『ハイテク株式市況の死角 その3』では、その深刻な影響とその後の結果を説明していく予定です。
応援クリックして頂けると励みになります