もう一人、お手本となる投資家を紹介します。
バーモント州南西部の町ブラトルボロに暮らしていたロナルド・リード氏(1921〜2014年)です。ロナルド・リード氏のことは最近ニュースになったこともあり、ご存じの方も多いかもしれません。
目次
ロナルド・リード氏の生い立ち
ロナルドさんは、バーモント州の町ブラトルボロで生まれ、地元のバーモント高校を卒業しました。家族の中で高校を卒業したのは彼が初めてでした。その後、第二次世界大戦で北アフリカ、イタリアで兵役につきます。
第二次世界大戦が終わると、ロナルドさんは地元のバーモント州で細々と生きていくことになりました。
まず、兄とともに自動車修理工として働きましたが、その工場が他社に売却されると職を失いました。しばらくしてから大手デパートで臨時の掃除夫として働くようになました。臨時であったものの、真面目な勤務態度が認められ、ずっと働いてきました。そこを退職すると、次はガソリンスタンドの清掃人として働きました。
1997年からは年金生活に入りました。
ロナルドさんの質素な生活
ロナルドさんは質素な生活を行い、派手なことや贅沢な生活も好みませんでした。
小銭を浮かすために近くの駐車場を絶対に使用しないで、いつも少し離れたところに駐めていました。また、いつもヨレヨレの服をきて、冬でも古びて穴の開いた野球帽をかぶっていました。ときにはホームレスと勘違いされることもあったそうです。
ロナルドさんは、多少ユーモアがあるものの、取り立てて目立つような存在ではありませんでした。周りの人が記憶している事は斧で薪を割るのがうまいと言うことと、ヨレヨレの服を着ながらいつも投資新聞のウォールストリートジャーナルを読んでいたことぐらいです。
ロナルドさんの巨額の資産
2014年6月、そんなロナウドさんが、92歳で亡くなられました。そして、遺産分与に関する遺言状が弁護士に託されました。
誰もがロナルドさんは富とは無縁で、遺産もささやかなものだろうと思っていました。しかし、資産を確認した弁護士は驚きを隠しきれませでした。株式の束を確認し、それらを合計すると遺産は、800万ドル(約9億5300万円)にもなったのです。
その遺産はロナルドさんの分割指示に従い、ブラトルボロ・メモリアル病院に480万ドル(約5億7200万円)、ブルックス図書館に120万ドル(約1億4300万円)を寄付されました。残りは義理の子供たちと友人らに分けられました。
ロナルドさんの投資方法
ロナルドさんは、自動車修理工、デパートの臨時の用務員、ガソリンスタンドの掃除夫と決して多くない給与からどのように投資をしてそのような巨額の資産を形成したのでしょうか。
ロナルドさんが買っていたのは、銘柄数は95銘柄にも及びました。それらは、ウェルズ・ファーゴ銀行、P&G、アメリカン・エキスプレス、ジョンソン&ジョンソン等のアメリカ人なら誰もが知っている日常ありふれた銘柄のみだったのです。さらに、そのような銘柄を買うと二度と売ることはありませんでした。そして、その株からくる配当は、すぐに再投資に回していたのです。
ロナルドさんが、株式投資を始めたのは37歳と決して早くはありませんでした。しかし、その後の長い保有と配当再投資の期間を経て、資産が大幅に増えることになったのです。
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