投資家紹介

私たちがお手本とする個人投資家 その3『ポール・ナーマン』

投稿日:2018/2/21 更新日:

今回、3人目の私たちがお手本とすべき投資家を紹介したいと思います。今回はポール・ナーマン氏(1930〜2016年)です。

ポール氏の半生

ボール氏は1930年にニュージャージー州のヴァインランドで生まれました。家は貧しく高等学校も卒業していませんでした。

ポール氏の仕事と生活

ポール氏は16歳で農場に働きにでます。3年ほど働いたのち、兵役で朝鮮戦争に出兵しました。2年の兵役から戻ってからは、同じニュージャージー州にあるメルビルという町にあるガラス工場に働くようになりました。そこで50年余り働きました。最後は、そのガラス工場の品質管理者となったものの、最も給与の高い時ですら時給は11ドル超える事はなかったそうです。また仕事自体も日常的に残業があり、週に60時間の勤務であったことも珍しくなかったそうです。

ポール氏の生活は非常に質素でした。テレビも携帯電話も持たない生活だったのです。マクドナルドで朝食をとり、新聞を読み、CDで音楽を聴くことがささやかな楽しみでした。そのCDについてもいつも中古品を購入していたのです。さらに、服もいつもリサイクルショップで購入していました。

独身で、旅行もしない、高級ディナーにいくこともない、つつましい暮らしでした。

ポール氏 CBSニュースで放送される

2008年そのポール氏が78歳のときにCBSニュースにとりあげることになったのです。ポール氏が地元の高等学校と 看護師養成学校にそれぞれ100万ドル(当時日本円で1億1000万円 1ドル110円換算)、合計200万ドル(2億2000万円)の寄付したことが、アメリカ中で放送されました。

その高額の慈善家をたたえるためにレセプションが開かれました。慈善家に対して敬意を払うために来客者はスーツを着て出席しました。しかし、ポール氏だけはいつもの作業服でした。レセプションの壇上で『それ以外の服を着たことがないので』と照れくさそうに話すポール氏に出席者は深い感謝の意と惜しみない拍手を送りました。

ポール氏の投資方法

50年以上も勤めながら時給は11ドルにも満たなかったポール氏。そのポール氏はどのようにしてそこまでの巨額の富を築いたのでしょうか。

ささやかなお給料から、生活を切り詰めてその資金で少額から株式投資にまわしました。投資先は水道・ガス・電気といった公共サービスの企業がメインでした。公共サービスの企業は決して高いリターンをもたらすわけではありません。それは行政の規制により自由に値段をつけることができないからです。そのかわり新規参入が不可能で、栄枯盛衰がありません。そのために、利益が安定し経営基盤が強固であることから、高い配当出すことが知られています。その配当を再投資することで、長期の期間をへて、資産が複利により拡大していったのです。

ポール氏の葬儀

2015年11月、86歳にポール氏は亡くなられたました。マクドナルドで倒れたところを発見され、病院に運ばれるも帰らぬ人となったのです。

地元の教会でポール氏の葬儀が行われました。ポール氏には姉がいましたが当時すでに他界していました。そのために、姉の姪が喪主を務めました。

ポール氏は独身で子供もいませんでした。しかし、葬儀にはメルビル中から多くの参列者が出席しました。さらに、アメリカ中からお悔やみの連絡が届いたのです。ポール氏の慎ましい生活と多額の献身的な寄付を人々は決して忘れなかったのです。

最後に

今回ポール・ナーマン氏を紹介しました。今までアンネ・シャイバーロナルド・リードをお手本として紹介してきました。

3人とも同じような投資スタイルと思いませんか。とにかく生活を質素にし、そこから浮いた資金を定期的に永続性のある企業の株を購入する。そのようにドルコスト平均法で株式を積立購入するとともに、配当も再投資したのです。それにより晩年になり強力な複利の効果が現れて巨大な富を形成することになったのです。

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