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大麻と麻薬の違い その1【清帝国滅亡の引き金アヘン・悪魔の薬モルヒネとヘロイン】

投稿日:2018/10/20 更新日:

最近、大麻についてカナダでは全面的に解禁となり、カリフォルニア州をはじめとするアメリカでの多くの州で解禁されてきています。それを受けて、大麻市場の拡大が期待され、コカコーラやアルトリアも大麻市場に参入しつつあります。

では、大麻とは何でしょうか。

大麻と麻薬と同じものと誤解している投資家も少なくありません。
しかし、麻薬と大麻とは全く違うものなのです。

大麻とは『マリファナ』のことを意味します。『マリファナ』は、依存性なく、当然禁断症状もありません。その危険性についてはアルコールやタバコよりも少ないのです。

逆に、麻薬は依存性が高く、確実に廃人となり命を落とす悪魔の薬です。その麻薬の代表が『アヘン・モルヒネ・ヘロイン』です。今回は、その『アヘン・モルヒネ・へロイン』について説明していきます。

次回の『大麻と麻薬の違い その2』では、『マリファナ』について説明する予定です。

目次

歴史上のアヘンの記録

アヘンの原料となるケシの実

『アヘン・モルヒネ・ヘロイン』の原材料は、ケシから来ています。

春の訪れとともに、ケシは可憐な花を咲かせ、実を結びます。実が完熟する前に傷をつけることで乳液がにじみ出てきます。乳液をそのままにしていくと、黒色に変化し固まります。それがアヘンです。

古代からのアヘンの記録

アヘンの歴史は古く、古代エジプトやギリシャで、鎮痛剤として使われていた記録が残されています。

しかし、恐ろしい依存性のある嗜好性薬物としの記録は、古い文献では認めることができないのです。

アヘン戦争

中国から始まる依存性薬物としてのアヘン

依存性薬物として記録に登場するのは、19世紀になってアヘン喫煙が普及してからです。それは、有名なアヘン戦争で知られ時代に他なりません。

まず、アヘン戦争前後の流れを概観してみましょう。

18世紀に繁栄を極める清帝国

18世紀に清帝国は繁栄の絶頂を極めます。中国史上でも傑出して有能な皇帝が、康煕帝・雍正帝・乾隆帝と三代も続き、その経済規模は世界GDPの30%にも及んだのでした。

その18世紀、イギリスは中国から茶、陶磁器、絹の奢侈品を輸入していました。その紅茶がイギリス人の生活にに欠かせないものとなり、輸入は増加の一途をたどることになります。

当時、イギリスは、産業革命により綿織物の大量生産が可能となりつつありました。そのため、拡大した貿易赤字を減らすため、綿織物の輸出を清国に願い出ました。しかし、『清国は恩恵として貿易を行っているのであり、貿易を停止しても困ることは何もない』と軽くあしらわれます。

18世紀ではイギリスといえども、清帝国とでは国力に隔絶たる差があったのです。

衰える清帝国

しかし、19世紀になるとがらりと事情が変わってきます。康煕帝から乾隆帝に至る絢爛たる清の国力は、技術革新の欠如や官僚の腐敗により急速に衰えていったのです。

逆に、産業革命に成功した大英帝国の国力は飛躍的に拡大し、『七つの海』を支配する覇権国家への道を歩みだします。もはや、イギリスは、清帝国のいいなりになる必要もなくなったのです。

イギリスによるアヘン密貿易

貿易赤字の改善を望むイギリスが目をつけたのが、麻薬であるアヘンの密貿易でした。

イギリスは、インドでケシを栽培し、そこから製造したアヘンを清帝国に持ち込みます。

アヘンのは次第に中国中に広まり、国内の銀は流出していくことになりました。銀の流出と、アヘン中毒拡大による生産力低下により中国の経済力は急激に悪化していきます。

清帝国はアヘン禁令を出したものの、効果はありません。中国の官僚や軍人の多くがイギリスに買収されていたのです。

林則徐によるアヘン没収

清の道光帝は アヘン強行派の林則徐を欽差大臣に任命します。欽差大臣とは、皇帝を同じ権限を持つ大臣であり、その命令は皇帝の命令と等しい効力があるのです。

道光帝の期待を一身に背負った林則徐は、アヘン貿易の舞台である広州に向かいます。

中国では、皇帝側近の官僚が地方に向かうときには、接待はもとより、賄賂を受けるのも当然でした。地方長官にとって、なんとしても大物官僚に取り入り利権を獲得することが重要だったのです。

しかし、林則徐は接待が増税となり、民衆への塗炭の苦しみに繋がることをもっとも憂慮していました。そのために、出向での贅沢な接待を禁止します。そして、同行者の人数を伝え、それ以上の食事の準備をしれはならない、これは命令だから背いてはならない地方長官に伝えます。

鎮差大臣としては異例の質素な出向から、林則徐が清廉潔白な官僚であることが明らかになり、広州のイギリス人にも危機感が広まります。今までのように賄賂が通用する相手ではないことが明らかだからです。

イギリス人にアヘンの差し出すように迫る林則徐に対して、一部のアヘンを差し出しごまかそうとします。しかし、林則徐はアヘンの取引量と消費量から貯蔵されているアヘン量を正確につかんでいたのです。すべてのアヘンを差し出すまでイギリス人駐留地への食料や水の封鎖を行ったのです。さすがのイギリス人は根をあげ、すべてのアヘンを提出しました。林則徐は、没収したアヘンのすべてに石炭をかけ、海水に浸し無力した後の、焼き捨てます。

アヘン戦争前夜

中国によるアヘン処分のニュースがイギリスに伝わると、イギリス議会では、報復のために開戦すべきいう議論が高まります。林則徐は、入手した英字新聞から開戦が近いことを判断し、防御を固めます。

広州周辺の漁民を組織し民兵として軍事訓練を行います。さらに、要所にドイツから輸入した砲台を建設し、開戦に備えました。

広州に集結したイギリス艦隊は、広州一体に張り巡らされた防御態勢に動揺します。つけいる隙もない広州の防御態勢になすすべもないイギリスは北上し、北京近くの天津に攻撃を加えます。

天津は北京の外港というべき湾港都市です。アヘンを巡る争いは遠い広州の出来事と他人ごとのように考えていた道光帝は、イギリス艦隊による天津攻撃に怖じ気づき、あろうことか林則徐を解任します。

清帝国に繁栄の絶頂をもたらした康煕帝・雍正帝・乾隆帝の時代なら、そのような弱腰外交を行うことはなく、強い姿勢を貫いたことは疑いありません。林則徐の作り上げた防御態勢でイギリスの上陸を阻止するとともに、たとえ上陸を許したとしても、中国の広大な国土を利用し、イギリスの補給路を断つために地上戦を展開したでしょう。ナポレオン軍のロシア遠征による壊滅や、アメリカ合衆国のベトナム撤退からも明らかなように、清帝国が陸上で補給路を断つ作戦を展開していたなら、もはやイギリスに勝ち目はありません。

アヘン戦争勃発

道光帝の腰抜け外交に、清軍の士気は急激に下がっていきます。さらに新たに任命したアヘン融和派の官僚は、林則徐が築きあげた民兵を解散し、砲台を撤去するような、イギリスの歓心を買うような態度をとっていくのです

そのような清国の弱気からイギリスは香港割譲という高圧的な要求をしました。清国が領土要求を拒否すると、イギリスは開戦に踏切ります。世に言うアヘン戦争です。林則徐が構築した鉄壁の防御態勢を解体した清に勝ち目はありません。

アヘン戦争での敗北を境に清は、転落の一途をたどり、国内にもさらにアヘンが蔓延することなります。

左遷された林則徐

林則徐は、アヘン戦争を引き起こした責任を問われ、中央アジアに左遷されます。

しかし、そのような左遷人事でも腐ることなく、そこで優れた行政官として実績を上げていきます。凶作で餓死者が出るときには、高官の倉庫を開かせ食料を解放し、堤防が決壊し水害におそわれたときは、現場に訪れ、泥まみれでその修復に奔走します。そのような善政は、民衆の間で長く語り告がれることになったのです。

林則徐が残した『海国図志』による日本の近代化

林則徐は、鎮差大臣を解任されるときに、今まで集めていた外国情報や清国の歩むべ指標の資料を友人の魏源に託します。魏源は、それを『海国図志』として出版します。しかし、数千部出版されるものの清国内で売れたのはたった1冊に過ぎません。国の宝ともいうべき『海国図志』が、清国で顧みられることはなっかったのです。

しかし、国外で『海国図志』を熱狂的に受け入れられます。他ならず日本です。

古来より中国から先進文明を吸収してきた日本にとって、超大国であるはずの中国がアヘン戦争で大敗したことに大きな衝撃でした。

その衝撃から危機感を抱いた日本は、今後の国家の運営を模索します。そこで最高の指南書となったのが、他ならぬ『海国図志』だったのです。そこには、西洋諸国の科学技術や、議会制民主主義、社会制度が詳しく記され、清国が巻き返しを図るには、中国古来の文化は尊重しながら、西洋の技術を習得するとともに、立憲君主制による議会制度や、教育制度といった西洋諸国のすぐれた制度を取り入れる必要性が具体的に記されていたのです。

『海国図志』は、幕末で活躍することになる西郷隆盛、大久保利通、高杉晋作らに熱狂的に受け入れられ、明治維新として開花することになるのです。

『モルヒネ』と『ヘロイン』

『モルヒネ』の分離

アヘン戦争から、麻薬の話に戻りましょう。

アヘンには20種類以上の成分が含まれています。その中で麻薬として機能する成分はモルヒネです。

1805年にアヘンからモルヒネを抽出することがドイツで成功しました。その優れた鎮痛作用は、クリミア戦争や南北戦争で鎮痛剤の注射として多用されることになります。しかし、その濫用から戦傷者の多くのモルヒネ中毒者を出すことになりました。

ヘロインの合成

1899年に、モルヒネに化学操作を加えたヘロインが開発され、咳止めシロップしてドイツのバイエル社から発売されました。しかし、ヘロインは、モルヒネよりも強い依存性が明らかとなり発売中止となります。

ヘロインは、その強い依存性からあまりにも危険な薬剤であり、もはや医療で使い道はありません。現在、ブラックマーケットで取引されているアヘン系の麻薬の大半はヘロインに他なりません。まさに、史上最悪の麻薬として『キング・オブ・ドラック』とさえ呼ばれるにふさわしい薬剤なのです。

モルヒネとヘロインの作用

では、モルヒネやヘロインがどのように人体に作用するのかみてみましょう。

『モルヒネ・ヘロイン』は、ダウナー型の薬剤であり、人としての感情や表情が無くなってきます。

しかし、投与した本人は、想像を絶する幸福感を体験することになります。それは、人生のでの感じた快楽をすべて合計しても、麻薬による幸福感には遠く及ばないのです。もしも、天国があるならこのような状態といっても過言ではありません。

しかし、その幸福が永遠に続くことはないのです。麻薬の効果が切れたときには、地獄の苦しみが待っているのです。

地獄の禁断症状

麻薬の効果が切れて、12時間ほどで禁断症状の前兆が出現してきます。

最初は、眠気が出現し、涙や汗、鼻水があふれ出してきます。その後、次第に手足が震え、倦怠感や不快感におそわれていくのです。

その後、地獄の禁断症状が現れるのです。全身がのこぎりで切られたような激痛が出現し、大人ですら、泣き叫び、悲鳴を上げ、のたうちまわるのです。

また、体温調節中枢が障害を受け、火の中に放り込まれるような灼熱、氷河の中に閉じこめられたような極寒が交互に出現します。

時間の感覚も消失し、1分がまるで数時間であるかの感覚になり、その間激痛、灼熱、極寒に襲われ続けるのです。痛みのあまり失神したとしても、さらにその激痛のあまり失神から意識が戻るのです。

最後には、激痛のあまり、細胞にあるアポトーシスの遺伝子が発現します。アポトーシスとは細胞自ら死に至る現象のことです。細胞みずからが死を選ぶことにより肝臓や腎臓も機能不全となり、脳も自ら溶解し縮小してきます。そして、昏睡に陥り死亡に至るのです。

その激痛を消滅させるには、麻薬を投与するしかありません。麻薬を投与することで一瞬に激痛から解放されるのです。そのようにして、麻薬なしでは、生きていくことができなくなるのです。それを身体的依存といいます。

しかし、麻薬を投与しても昔感じた幸福感が戻ることはありません。それは、麻薬は耐性が強く、多幸感を感じるにはさらに多くの薬を投与しなくてはならないのです。そのようにして投与量が致死量に達し、呼吸中枢が停止し、窒息死していくのです。

医療で不可欠のモルヒネ

しかし、麻薬の中でも『モルヒネ』は、医療では鎮痛剤として極めて有効なのです。特に、癌末期の鎮痛コントロールには欠かすことができません。

癌末期の痛みのために、モルヒネの錠剤を内服した場合に、身体依存性が出現することもなければ、寿命を縮めることもありません。当然。禁断症状が出ることもありません。

モルヒネの内服では禁断症状が出ない理由

モルヒネを内服した場合に小腸から吸収され、門脈を介して肝臓で処理されます。そこでモルヒネは代謝され、M6Gという物質にかわります。そのM6Gは、モルヒネの100倍近い鎮痛作用があります。しかし、脳をはじめとする中枢神経にはほとんど影響しないのです。つまり、鎮痛作用だけが現れ、多幸感も悪魔の禁断症状も出現しないのです。

古来より、アヘンは、天からの贈り物とも称されてきました。それは、近代になるまで経口摂取しか方法がなかったからです。

しかし、近代に入り、喫煙や注射による投与が可能となりました。それにより、悪魔のような禁断症状が現れるようになったのです。

アヘンを喫煙すると肺から吸収され、肝臓で代謝さえることなく、心臓を介して全身に拍出されます。拍出された血液の10%は、そのまま脳へ送られます。

また、注射の場合も、モルヒネは大静脈に移行し、肝臓を経由することなく心臓に到達し、全身に拍出されます。その1割は脳へ送られます。

喫煙や注射では、モルヒネは肝臓で代謝される前に、心臓に至り、脳に到達するのです。脳にモルヒネが直接作用することで、『天からの贈り物』は、『悪魔の薬』と変貌することになったのです。

今回、麻薬の代表である『アヘン・モルヒネ・ヘロイン』について説明しました。

次回、大麻である『マリファナ』について原稿を記載する予定です。

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