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【バブル崩壊よりも悲惨な業績の裏付けのある株価暴落後の世界】ハイテク株式市場の死角 その3

投稿日:2018/6/26 更新日:

 

投資が過熱し、適正な価値を大きく上回り投機の対象となる状態をバブルと評します。そのようなバブルはいずれ破裂することは歴史が証明しています。

バブルの崩壊が悲惨であることは言うまでもありません。

しかし、バブル崩壊よりも、業績の裏付けから高騰した株式市場の崩壊の方がより回復が困難であり、その後の経過もより悲惨な結果をもたらすのです。

1920年代のアメリカ社会の変化

大恐慌から現在を考える

1929年の大恐慌からそのことを説明していきましょう。

1929年の株価大暴落とその後の大恐慌はもはや歴史のひと駒となっています。もはや過ぎ去った過去であり、現在にはもはやあり得ないと考えられるかもしれません。

しかし、その当時の大恐慌こそ、現在のハイテク市場が崩壊後に再現されうる不況の姿となる可能性があるのです。

バブル崩壊よりも回復が困難な、業績の裏付けのある株価崩壊

単なる投機によるバブルなら、資産を失うことに留まります。資産を失ったあと、もとの生活に戻り、地道に社会で働けばいいのです。一からやり直すことが可能なのです。

しかし、新しい産業が勃興し、莫大な業績を上げた場合には、すでに社会が変質しているのです。新産業の業績を背景として高騰した株価が暴落した後には、人々にはもどる世界がもはや存在しないのです。かつての社会は、過去の彼方への消え去り、景気を回復させるためには、新たな社会を手探りで作り上げることが必要なのです。もどる世界がなく、何もかも失った状態から、新たな社会を構築することが如何に困難であるかは、冷静に考えるなら理解できるはずです。

1920年代の農村の衰退

では、1920年のアメリカ社会の変化と、その後の大恐慌を見ていきましょう。

以前の記事で、当時の株式市場はバブルのように膨らんだ株価ではなく、PERが15の当時の企業業績を適正に反映した株価だったことを説明しました(『ハイテク株式市況の死角 その1』『ハイテク株式市況の死角 その2』)。そのような高い収益が計上できるということは、新産業が社会に劇的に変貌をもたらしたことを意味しています。

1920年代のアメリカ社会は、農村社会から都市型社会への移行期に相当します。その時代に農村から都市への大量の人口が流出し、都市の人口が農村を始めて上回りました。

日本でいえば高度成長期にあたります。日本も高度成長期に、人口の大半が農民であった社会から、企業の従業員としての給与所得者が大半となる都市型の社会に変貌しました。

1920年の農村から都市への人口流入は、農村の衰退が契機でした。それは農村が第一次世界大戦に翻弄されたことから始まります。

1914年6月28日にヨーロッパで第一次世界大戦がはじまります。その戦乱で、アメリカからヨーロッパへの農産物輸出は飛躍的に増大しました。輸出は4倍にも膨れあがり農産物の価格も高騰したために、アメリカの農家は空前の好景気に沸いたのでした。

農家は、生産拡大のために耕地面積を拡大し、農地を担保に農業機械も買い増しました。

しかし、好景気は1919年のヨーロッパでの戦争終結により一変します。多くの余剰農産物が生み出され価格は暴落します。経費も回収することのできないほどの暴落により、好景気で積み上がった利益は瞬く間に消滅しました。そして、残されたのは過剰生産能力と借金の山だったのです。

1920年代に多くの農民が土地を失い都市へと流入していきました。

新産業による都市の発展

しかし、1920年代の都市には、自動車が普及し、冷蔵庫やオーブン等の家電製品が続々と生み出されていました。自動車企業や、石油会社、家電企業が急速に発展している渦中だったのです、当時新しく勃興した産業では、多くの人員を必要としました。土地を失い都市に流れた農民が、新たな仕事を見つけることに困難はありませんでした。人々は、都市で新しい生活を始めていきます。

フォードによるベルトコンベア方式と賃金引き上げ

なかでも経済成長を牽引したのは、自動車企業フォード社でした。

フォードは、1908年にT型フォードの生産を開始し、1913年にはベルトコンベアシステムの導入によりT型フォードの大量生産に踏み切ります。大量生産により低価格となった自動車は労働者やホワイトカラーの手にも届くようになり、急速に普及していきます。

フォードはまた購買力を高めるためには労働者の賃金を世界最高水準に引き上げていきます。

ベルトコンベア方式や賃金の引き上げはアメリカ産業のモデルとなり、家電企業や鉄鋼企業をはじめとして多くのアメリカ企業にも導入されます。

増える中産階級

そのようにして多くの中産階級は生み出されていきました。その中産階級の購買力を背景に、さらに電話、そして洗濯機・掃除機・ミシン、蓄音機、ラジオなどが家庭で一般化していきます。

その急速な経済成長の中で、アメリカは大量生産・大量消費の社会へと変貌していきました。そして、人々はより物質的な豊かさを追い求めることになったのです。

メディアや、映画、音楽の発展

ラジオや新聞などのマスメディアも急速に発展しました。その新聞やラジオによる広告業が業種として成立し、大量消費社会をさらに拡大していきます。

リンドバークが単身飛行機で大西洋横断に成功し、『翼よあれがパリの灯だ』という言葉で有名となりました。リンドバーグの偉業はラジオで中継されるとともに、タイム誌の表紙を飾ることになりました。

ニューヨーク・ヤンキースのベーブ・ルースが60本のホームランを放ち、そのラジオ放送は人々を興奮の渦に巻き込んでいきます。

また新たな大衆娯楽として映画が生まれ、チャップリンが熱狂的な人気を博します。

音楽ではニューオリンズにはじまった黒人音楽ジャズが、シカゴ・ニューヨークなどで都会的に洗練され人気を博していきます。また、ガーシュインが『ラプソディ・イン・ブルー』を作曲したのもこの時期です。

農村から都市に流入した人々は、アメリカの『永遠の繁栄』に酔いしれます。

1929年からの大恐慌

『暗黒の木曜日』

しかし、その『永遠の繁栄』は突然終わりを告げました。

1929年10月24日に『暗黒の木曜日』と呼ばれる株価の大暴落が起きたのです。その日のから翌週火曜日までの5日間での損害は、アメリカ流通通貨の倍にも及んだのでした。

銀行の破綻

多くの投資家はブローカーズローンといって銀行融資による株式投資を行っていました。そのブローカーズローンは銀行融資の40%にも及んでいたのでした。そのほとんどは焦げ付きとなっていきます。

その焦げ付きは銀行の財務状態を急激に悪化させることとなります。

それはさらに銀行不安を引き起こし取り付け騒ぎを引き起こしていきます。その取り付け騒ぎは銀行の財務状況をさらなる悪化に追い込んでいきました。その結果、その年だけで1300もの銀行は破綻に追い込まれたのでした。その後3年間で6000以上の銀行が破綻していきます。

預金の消滅

当時は預金保護の制度すらありませんでした。そのために、多くの民衆が預金を失うこととなったのです。

預金を失った大衆にはもはや自動車や家電を買う余力は残されていませんでした。購買力を失った社会では自動車も家電も売れなくなました。

それは、ラジオ企業の財務も悪化させます。宣伝しても大衆には購買力が残っていないのです。

宣伝価格を下げるものの、どこの企業も新たな宣伝費を捻出する余裕すらなくなっていたのでした。

失業と給与下落

デトロイトのフォードの従業員は、1929年3月12万8000人だったが、1930年9月には3万7000人に減っていきます。多くは工場の閉鎖による解雇によるものでした。

ニューイングランドの繊維の街でも、紡績工の7人のうち3人が失職します。

失職を免れた従業員も、労働時間が減ることとなり、収入は大きく減っていくことになります。それでも採算がとれない企業は賃金レートの見直しを始めます。

工員の時給は、30%から50%下落していきました。

給与の高かったニューヨークの速一流の記の専門家ですら、時給計算で1/3にまで落ち込みました。

しかし、仕事があるだけまだ恵まれていたのです。

ニューヨーク市の職業斡旋所では、毎日1万人近い人が詰めかけました。しかし、仕事を得るのは400人程度に過ぎませんでした。しかも、大半は臨時の仕事だったのです。

大量消費を支えた中産階級は消滅し、企業は利益の源泉を失うこととなります。

失業は、4人に1人にも及び、GDPは45%も落ち込むこととなったのです。

ホームレス対策

多くの失業者のとって仕事の確保は遠い夢であり、寒さと飢えからどう救うかが問題となったのです。民間団体と州政府が、配給の救済事業を行うものの、つきることのない長蛇の列から、財源が枯渇していきます。

1932年夏には、救済の受けることができない人が生鮮食品の廃棄品をあさるホームレスとなってきました。

ニューヨーク州では、ホームレスの宿泊施設を建設されました。ただし、ホームレスの大半は、1920年代はアメリカンドリームを継承する中産階級として高い賃金を得ていた人々だったのです。

後戻りできない社会

連邦政府に救済を求める声が高まりました。しかし、当時失業者に仕事を確保することは、民間企業の責務であり、政府は関与しないと考えられていました。ホワイトハウスは積極的な失業対策は取ることはなく、景気はさらに悪化することになったのです。もはや都市での生活は困難な状態へとなりました。

しかし、かつての農村社会に戻ることもできないのです。もはや豊かな農村は過去の彼方に過ぎ去ったていたのでした。

大恐慌で農産物の価格が下落し、もはや運送代すら回収できなくなったのです。農産物はうち捨てられ、4件のうち1件の農民が土地を手放すことになったのです。

新しい産業による、新しい社会が生まれました。しかし、大恐慌によりその社会が根底から崩れたのです。そして、戻るべきかつての豊かな農村社会もすでに解体しています。すべてを失ったところから、新しい社会の仕組みを作らないことには、状況は改善しないのです。

その結果、不況は長期にわたることになったのです。

中間層弱体により滅亡したかつての強大な帝国

しかし、その景気が回復する保証はどこにも無いのです。歴史をひもとくなら、そこから多くの覇権国家が新たな社会を構築することができず衰退し滅亡しているのです。

少し歴史書に目を通すだけでも、
①古代世界の頂点を極めてローマ帝国、
②中世の世界の覇者であった唐帝国、
③最盛期に世界のGDP30%と比類のな繁栄を極めた中国の清帝国
が目にとまります。

ローマ帝国や、唐帝国、清帝国は、現在のアメリカ合衆国に匹敵する国力を有する国家です。歴史上もっとも強い国力を有する帝国の基盤が、単なる投機で消滅するように脆弱であるはずがありません。

しかし、そのような歴史上の頂点を極める大帝国ですら、繁栄後の二極化により中間層を失うことで衰退へ向かっているのです。中間層の復活のための新たな社会システムを構築できず弱体化し、内乱の末に滅亡に至ったのです。

西ローマ帝国滅亡後、100万人のローマ市の人口は2万人となります。中世の因習にとらわれたヨーロッパはその後1000年に渡り世界の発展から取り残さていきます。

唐帝国末期の農民反乱である安史の乱では3600万人が犠牲となります。当時人口が7000万人程度であった唐帝国は人口の半分を内乱で失うこととなったのです。もはや、帝国は形だけのものとなりました。

清帝国衰退期の太平天国の乱では、2000万人が犠牲となりました。内乱による飢餓や疫病を含めると犠牲者は5000万人にものぼります。未曾有の内乱で弱体化した清帝国は列強の半植民地となり、その後滅亡へと至っていきます。

退役軍人によるデモの鎮圧

1932年、首都ワシントンに貧困に耐えかね集まった退役軍人が賞与のデモ行進を開始しました。そのデモのために、キャンプもつくられました。フーバー大統領は、マッカーサー将軍に鎮圧を命令し、催涙ガスを使用した上で、キャンプが焼き払ったのでした。もはや国民のホワイトハウスへの失望は頂点に達しました。

もしもアメリカ合衆国がローマ帝国や唐帝国のような世襲国家であるなら、そのまま衰退、内乱、滅亡へと進んだかもしれません。

しかし、民主主義国家では選挙で為政者を変えることができるのです。人々は新しい大統領の誕生を望むようになりました。

新大統領フランクリン・ルーズベルト

1932年の大統領戦で、再選を目指す共和党の現職フーバー大統領は、民主党のフランクリンフーズベルトに敗北しました。まさに民主党の地滑り的大勝利だったのです。

1933年に第32第アメリカ大統領に就任したフランクリン・ルーズベルトは、公共事業による失業者を吸収するニューディール政策を開始します。

そのような失業対策により1929年の最高値から86%下落した株価は底を打つこととなりました。しかし、GDPと失業率の完全な回復は、第二次世界大戦による需要によってはじめて達成されたのでした。

まとめ

1929年の大恐慌はアメリカ社会の大きな傷跡を残しました。

しかし、その影響はアメリカ国内に留まりませんでした。次回、大恐慌の世界への影響を記事にしたいと思います。それは、現在のトランプ大統領の政策自体が、そのような影響を及ぼす危険性を含んでいるからです。過去を知ることは未来を知ることにつながるのです。

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