前回のホリエモンの記事で、Appleスティーブ・ジョブズのスタンフォード大学での名スピーチを紹介しました。そこでは、一見、役に立ってないようなことが、気がつかないところでさまざまな事柄に深く影響していくことが述べられました。そもそも、ジョブズは、過去の遺物とみなされている禅に傾倒し、そのスピリッツや文化を起業に反映させているのです。
今回は、名スピーチを材料に、ジョブズがどういう経緯で禅に傾倒したのかを探っていくことのします。さらに、禅に流れている日本伝統文化との関わりも探っていくことにしましょう。
目次
『ハングリーであれ、愚か者であれ』
名スピーチの最後
『ハングリーであれ、愚か者であれ(Stay hungry, Stay foolish)』
2005年のジョブズは、スタンフォード大学の名スピーチの最後をこのような言葉で締めくくりました。
『ハングリーであれ』につてはもはや説明の必要はありません。ハングリー精神こそが、MacintoshやiPhoneを世に送り、世界最大の時価総額を誇る企業を生み出したのです。
『愚か者であれ』の意味
一方、『愚か者であれ』については、理解が難しかもしれません。しかし、ジョブズ氏の人生哲学のほとんどは仏教とくに禅からきていることを知るならその理解は決して難しくありません。
『愚か者であれ』とは、中国禅宗の高僧 洞山良价の『愚の如く、魯ろの如く』からきていると考えられます。『愚』とは愚直を意味し、『魯ろ』とは木偶の坊(でくのぼう)を意味します。この意味するところは、まわりからどのようにいわれようと、一つのことを毎日毎日、愚直に、そして木偶の坊のようにコツコツと続けることの大切さに他なりません。
ジョブズは『愚の如く、魯ろの如く』の通り、MacintoshやiPodそしてiPhoneのような限られた製品をコツコツと作り上げ、Appleを世界最大の企業に育てあげたのです。
インドに対する失望
インド放浪の旅
では、ジョブズと禅とのかかわりをみてみましょう。
1960年代のベトナム戦争との社会不安から、アメリカでは、近代の合理主義文明に背を向けたてヒッピー文化が台頭します。ヒッピーは、インドや東洋の文化への関心を強め、ヒンズー寺院や禅へと傾倒していくこととなったのです。多感なティーンエイジャーであった当時のスティーブ・ジョブズもその影響を大きく受けていきました。
1974年、ジョブズは19歳の時に大学を中退し、導師を求めインドに旅立ちます。
雑踏と不衛生のインド
しかし、実際にインドを訪れたジョブズは、思い描いていた神聖なインドは幻想に過ぎなかったことを思い知ります。
ヒンドゥー教の聖地、ガンジス河では、多くの人々が沐浴をし、口をゆすいでいました。しかし、そのすぐ側には死体がただよい、死者の灰がまかれていたのです。
伝統のあるヒンズー教寺院の内部でも、聖なる動物といわれる牛たちがあちこちでのっしのっしと歩きまわり、いたるところにたれ流した牛の尿のすえた臭いが鼻をついていました。そのなかを、参拝者はところどころに渦を巻いてもりあがる牛糞を踏みつけ、一面にたまった牛の尿のなま暖いよどみに裸の足をつっこみながら、神殿を巡礼して歩いていたのでした。
無秩序の雑踏と不衛生な環境から、ジョブズ本人も赤痢にかかって苦しむことになったのです。
ジョブズは、放浪の末に想像とあまりにもかけ離れたインドの実態に失望し、5ヶ月でアメリカに帰国しました。
禅との出会い
日本人禅僧・乙川弘文師
カリフォルニア帰国したジョブズは、近くで導師を見つけることとなります。
日本人の曹洞宗の禅僧・乙川弘文(おとがわ こうぶん)師です。
当時、曹洞宗は、カリフォルニア州にセンターを開設し、禅の普及に努めていました。ジョブズは、乙川弘文師を心から慕い、禅仏教に強く傾倒していきます。
そうして、毎日のように乙川弘文師のもとに通い、3ヶ月に1回は長時間の禅の静修も行うようになったのです。
ジョブズの才能を見抜いた乙川弘文師
ジョブズは禅に傾倒するあまり、乙川弘文師に出家することを願いでます。しかし、当時ジョブズは、Appleの前身となるコンピューター事業をガレージで起業したばかりでした。
乙川弘文師は『出家はやめた方がよい。事業の世界で仕事をしつつ、精神的な世界とつながりを保つことは可能なのだから今行っていることを続けた方がいい』と諭します。
乙川弘文師は、ジョブズ氏について一度だけ『将来、大きな仕事をするかもしれない』とつぶやいたことがあります。
ジョブズは、すぐにかんしゃくを起こし、思い通りにならないと泣き叫ぶように、およそ経営者とはかけはなれた性格の持ち主です。にもかかわらず、乙川弘文師はジョブズのどこから経営者としての資質を感じ取っていたのでしょうか。
乙川弘文師はすでに他界しています。もはや本人に聞くすべはありません。
信長の資質を見抜いた客僧
しかし、日本でも常識からかけはなれた人物の大成を僧侶が見抜いた史実があります。織田信長です。
信長の父である織田信秀は42歳の若さで亡くなります。葬儀には有力者300人が参列しました。
しかし、喪主である信長がなかなか姿を現しません。
ようやく遅れて現れたの信長の姿に参列者は驚きます。粗末な服装で、髪もボサボザ、裸足で草履を履いている姿だったのです。さらに、位牌に近づくと焼香を投げつけそのままスタスタと去っていったのでした。
その場のだれもが『やはり大うつけである』ささやきあい、家臣団も織田家もこれまでかと落胆したのでした。
しかし、九州からの客僧だけは『信長殿こそ、天下を治める器の武将になられましょう』と言ったのです。
時代を変える革命児
戦国時代にような動乱期では、常識人では世の中を変えることはできません。新しい時代をつくるのは、常識を超越した革命児しかありえないのです。九州からの客僧も信長に、それまでの因習や常識に捕らわれず新しい時代を切り開く革命児の姿を見たのでしょう。
乙川弘文師もジョブズに織田信長のような革命児としての将来を感じたのかもしれません。
ネスレやペプシコのような生活必需品業界の企業なら、常識的で保守的な経営者が必要です。しかし、ハイテク業界で、常識的で保守的な経営に拘るなら、すぐに時代に取り残され、競争力を失うこととなるのです。このような変化が速く栄枯盛衰が激しい業界では、ジョブズのような型破りの革命児こそが、未来を切り開き、時代を先導すると考えたのでしょう。
Apple社
Apple創業
乙川弘文師から、事業を続けることを薦められたジョブズは、76年に21歳でコンピュータAppleⅠを発売します。
77年1月には、株式会社化し、最初のコンピュータ名にちなんで会社名をAppleとします。
そして、同年77年4月ににAppleⅡを発売し、爆発的な人気を呼ぶことになるのです。
80年には株式公開し、ジョブズは25歳にして2億ドルの資産を築き、時代の寵児となっていきます。
スカリー招聘
Appleの規模が大きくなるに従い、外部から熟練した経営者を招くことが必要となりました。尊大なジョブズ本人も、自分自身が巨大な組織を運営できるには経験が不足していることは理解していたのでした。
ジョブズは、ペプシコ社CEOのジョン・スカリーを招くことを決断します。スカリーは『一生、砂糖水を売り続ける気かい?それとも世界を変えるチャンスにかけてみるかい?』というジョブズの言葉に、Appleの移る決心をします。
当初、スカリーとジョブズの関係は『ダイナミック・デュオ』と呼ばれ、極めて有効に機能していきます。
しかし、そもそもスカリーとジョブズとはバックグラウンドが大きくことなります。
スカリーは裕福な家庭出身であり、名門大学の卒業とエリートコースを歩んできました。MBA取得後は、ペプシコ社に入職し実績を上げていきます。
一方、ジョブズは養子に出され、大学を中退し、ヒッピー分化に傾倒し導師を求めインドへ行くような浮世離れした経歴を歩んでいきます。しかも、就職したアタリにも入退職を繰り返します。
さらに、スカリーが実績をあげたペプシコ社は清涼飲料水業界であり栄枯盛衰はほとんどりません。そこでは、失敗をしないことが最も重要となります。
逆に、ジョブズが起業したハイテク業界は、つねに栄枯盛衰を繰り返しています。失敗をしないこをを優先するような保守的な経営をするなら、時代に取り残され敗北してしまうのです。つねに挑戦することが必要なのです。
そのような背景の違いがら、ジョブズとスカリーとの間の溝が次第に深くなってきます。
ジョブズはMacintoshの開発にあたります。しかし、ジョブズのこだわりから、設計が次々と変更され、現場は大混乱に陥ります。そのため退職者が続出し、スケジュールは大幅に遅れ、経費も大幅にかさむことなりました。
84年に発売となったMacintoshについても、積み上がった開発費から高価格を余儀なくされ過剰在庫に悩まされることとなります。そして、上場以来初めての赤字決算となり、従業員の20%をレイオフするに至ったのです。
ジョブズ追放
ついにスカリーとジョブズの対立は決定的となります。
取締役会が開かれ、ほとんどの役員はスカリーを支持します。ジョブズは、すべての権限を剥奪されることとなったのです。
その後にアナリストを集めた説明会が開かれました。
スカリーは、冷ややかに発言します。『経営という観点で申し上げるならば、現在も、また、将来も、スティーブ・ジョブズにはなんの役割もありません。今後彼がなにをするのか、私はまったく関知していません。』
会場は息を呑みました。
ジョブズは辞任し、アップル株も1株を残してすべて売却します。1株は株主総会に出席するために保有したのです。
ジョブズ追放を好感する株式市場
ジョブズ辞任の日メディアにはこのように報道します。
東海岸の株主は、アップルがカリフォルニアの奇人が経営している点に懸念を抱いてきた。今回、ウォズニアックもジョブズも会社を去り、そのような株主が安心したということだ。
株式市場もジョブズの追放を好感を持って迎えます。その日、Apple株は7%近くも上昇したのです。
ウォール街は、ジョブズがいなくなることで、Appleの運営が安定し、今後も発展を遂げることを確信し、安堵したのです。
ジョブズは、一世を風靡した過去の人物に過ぎなくなったのです。
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