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【狂信的カルトが建国したアメリカ合衆国・禁酒法の無惨な失敗】大麻規制の背景 その1

投稿日:2018/11/4 更新日:

アメリカで大麻が規制されるようになった背景には、禁酒法の無惨な失敗があります。

禁酒法とは1920年に施行され、1933年に廃止された法律です。

禁酒法の時代は、第一次大戦後に経済の中心がロンドンからニューヨークに移り、アメリカが経済的覇権を握った時期です。その時期に、アメリカは未曾有の繁栄を謳歌し、そして、1929年に株式市場の崩壊により大恐慌へと至っています。

自由の国であるアメリカでなぜ飲酒を制限するような法律が施行されたのか疑問に思われるかもしれません。

それは、アメリカの支配層がピューリタンであることを理解すれば疑問は氷解します。

アメリカ合衆国の支配層ピューリタン

WASP

アメリカの支配層についてWASPと言われています。

WASPのWは、ホワイト頭文字で、白人を意味します。

ASは、アングロサクソンの頭文字です。

そして、最後のPこそピューリタンの頭文字に他ならないのです。

ピューリタンの質素倹約の生活を営み、仕事を天職として全力で遂行する姿勢は、資本主義の発展をもたらしました。しかし、そのような質素倹約の姿勢は、理想を追い求めるあまり禁酒法という現実離れの法律を生み出したのです。

しかも、ピューリタンについて深く理解すれば、質素倹約で勤勉な側面の背後には、狂信的カルト教団を彷彿とさせる姿を認めることができるのです。

カルヴァン派によるジュネーブでの恐怖政治

ピューリタンとは、キリスト教のプロテスタントのカルヴァン派を意味します。

カルヴァンは、16世紀の欧州でルターとともに宗教改革の中心となった人物です。

フランスに生まれのカルヴァンは、母国で宗教改革に取り組むものの、受け入れられず、スイスのジュネーブに赴きます。そのジュネーブの封建領主を追放して政治権力を掌握し、政教一致の独裁体制を敷きました。

カルヴァンは、市民の日常生活から贅沢や娯楽を排除して、質素倹約な生活を維持する徹底的な禁欲道徳を説いたのです。

当時ジュネーブでは神権政策が徹底され、宗教警察による巡回が強化されます。そして、禁欲的カルヴァニズムの教義に逆らう者は、次々と捕らえて処罰されていきました。

当時、ダンスを楽しんだ、賛美歌以外の音楽を歌った、トランプを製造したというようなことすら厳しく処罰されたのです。

さらに、セルヴェという神学者が、三位一体説を批判する説を発表すると、異端説であるとして宗教裁判にかけられ、火あぶりの刑で処刑されたのです。

ジュネーブの街からは華美な衣服や高価な嗜好品が姿を消し、娯楽も消滅し、火の消えたようになっていきます。

まさに、イスラム国のような狂信的カルト教団を彷彿とさせます。

宗教改革とは、単なる新興宗教誕生

ルターやカルヴァンの活躍について一般には宗教改革と言われています。しかし、正確に表現するなら、ローマカトリック教会の権威喪失と社会不安からのルター派やカルヴァン派という新興宗教が勃興したと考えた方が適切でしょう。

いびつな教え『予定説』

カルヴァンの教えの特徴は、予定説です。それはあらかじめ誰が天国に行ける日を神様が決めて予定していると言う考えです。

素朴な宗教感では、良い行いをすれば天国に行き、悪い行いをすれば地獄に落ちると考えます。

しかし、カルヴァンは誰が救われるかを神はあらかじめ決めていると言うのです。しかも、誰が救われるかは人間には知ることができないのです。ただし、それを予想することは可能なのです。職業とは天職でありそれを成功する事は選ばれた者である証明になると言うことです。その成功とはお金を貯めることです。蓄財の額が多いならそれは選ばれたものと言うのです。

平和な時代なら、到底世の中に受け入れられる教えとはいえません。しかし、当時のヨーロッパは戦乱のあけくれ、カトリックも権威を失い、飢餓やペストの流行で社会は混乱を極めていました。

そのような先の見えない世の中だからこそ新興宗教が勃興する土壌が形成され、予定説が人々の心をとらえることになったのです。

蓄財こそ至上という教え

カルヴァンの教えは、当時台頭してきた商業や金融業を営むブルジョアジーの心をとらえました。

もともとカトリックでは商業や金融業を蔑視し、蓄財を否定していました。しかしカルヴァン派は商業や蓄財が奨励します。カルヴァン派の教えで蓄財に関する罪悪感が消えたブルジョアジーは、勤勉に働き、質素の生活を送り、蓄財に励んでいきます。

そのような蓄財の成功から、ブルジョアジーは、自分たちはすでに選ばれていると確信をもっていきます。蓄財は、贅沢な暮らしが目的ではなく神様から選ばれていることを検証するためなのです。

ピューリタンへの迫害

しかし、権威が落ちたとえども、カトリックは依然として強大な権威をもっていました。その権威に挑戦するカルヴァン派に大規模な迫害を加えられることになりました。

イギリスではカルヴァン派はピューリタンと呼ばれていました。16世紀イギリス女王になったメアリは狂信的なカトリック信仰から、ピューリタンの僧侶を次々と捕らえ、火あぶりにかけていきます。

信教の自由を求めアメリカへの移住

そのような迫害をのがれるために、多くのピューリタンが北アメリカ大陸に移住しました。

彼らは、自由な新天地の理想の社会を建設する意欲にもえ、命をかけて大西洋を渡ります。しかし、新天地はあまりにも厳しい環境だったのです。

見渡す限り続く原生林で農地がなく、食料不足に陥ります。そして、東海岸の厳しい寒さから、1年で人数は半数になってしまうのです。

しかし、生き残ったピューリタンは、過酷な環境から、森を切り開き荒地を耕し、開拓を進めていくのです。彼らにとっては宗教的情熱のみが頼りだったのです。

発展と独立

いつしか農地も拡大し、町が形成され、行政機関も組織されます。

18世紀末には、イギリスからの独立を果たしました。

19世紀中頃には、イギリスから始まった産業革命も取り入れていくことになります。こうして遅れた農業国にも工業化の波が押し寄せてくることになるのです。

ピューリタンは、カトリックからの迫害を逃れ、信教の自由を求め、命をかけて、原生林の生い茂る過酷な北アメリカに移住しました。そこで、困難を乗り越え、自分たちが思想とする社会を作りあげていったのです。

彼らは、社会が発展しても、贅沢や嗜好品を好まなず質素な生活をしながら、職業を天職として受け入れ、勤勉な生活を送りつづけます。

そうして、19世紀後半には、ヨーロッパをしのぐ繁栄がもたらされたのです。

禁酒法

ピューリタンの敵であるカトリック教徒の移民

しかし、その繁栄を求めて、戦乱となったアイルランドや南ドイツからの移民がアメリカにやってきます。そもそも、彼らはピューリタンへ血の迫害を加えたカトリック教徒なのです。

カトリック教徒であることに加え、大酒飲みの多いアイルランド人やドイツ人の習慣は、ピューリタンの神経を逆なですることになります。

禁酒法への道筋

カトリック教徒の移民への反発から、多くの州で飲酒を制限する州法が成立していきます。

さらに、第一次大戦がはじまります。

当初、アメリカは中立を保っていました。しかし、ドイツ軍の潜水艦による無差別攻撃によりアメリカの商船が撃沈される国内で急速に反ドイツ感情が高まってくのです。

しかも当時、ビールをはじめとするアメリカの酒造産業は、ドイツ人に牛耳られていました。飲んだくれドイツ人を許すなという雰囲気が日を追うごとに強くなってきます。

1919年に第一次大戦が終結しました。国際金融はロンドンからニューヨークに移りアメリカの経済が表舞台に立つことになります。

禁酒法成立

そして1920年に、禁酒法が成立することになったのです。

禁酒法では、製造、販売、運搬、輸入、輸出は禁止されました。しかし、購入、貯蔵、飲酒は認められたのです。そのために、グレートギャッピーのようなパーティでアルコールを振る舞うことは合法でした。

合法のパーティ以外にも、ニューヨークやシカゴにはヤミ酒を提供するクラブが生まれていきます。そのヤミ酒を提供するギャング社会も形成されてくのです。そのときギャングの支配者が有名なアル・カポネです。

カポネは、酒の密輸、密売で莫大な利益を上げていきます。

裏社会の発達により多くの取り締まる人材が必要となりました。そこでは、銃を持ったギャングが登場します。捜査員は命をかけて取り締まりをしていきます。

健全な社会を目指したはずの禁酒法は、暗黒街という無法地帯を生み出すことになったのです。

そのような無残な結果から、禁酒法は1933年に廃止になります。

大麻規制

捜査員の雇用確保のための大麻規制

禁酒法廃止により、多数の捜査員が大量に余ることになりました。その捜査員の雇用を守るために、マリファナつまり大麻がターゲットになっていくのです。

大麻の普及

嗜好品としての大麻吸引がアメリカ社会に認知されたのは、19世紀末です。

19世紀中旬からアメリカは、遅れた農業国から近代的な工業国へと変貌し、大都市が発展していきます。工業化と都市化は、否応なしに貧富の差を生み出し、都市にはダウンタウンが出現します。

発展したアメリカの豊かさを求め、メキシコ人をはじめヒスパニック系の移民が押し寄せてきます。彼らは都市のダウンタウンの住み、労働者として働き始めます。

彼らの間では、マリファナが流行していきます。そうして、移民のヒスパニック系がマリファナを吸うことが社会的な問題と認識されるようになるのです。

しかし、実際は、通常のシガレットである紙タバコよりも値段が安いためにマリファナがはやったに過ぎなかったのです。

20世紀初頭の禁酒法時代になると、大麻は嗜好品として急激に普及していきます。南部のニューオーリンズの港にはキューバやメキシコから続々と大麻が持ち込まれ、ジャズとともに北部の都市へも運ばれるのです。

ヒスパニック系移民への反発

禁酒法の成立時にはヨーロッパ大陸から移ってきたドイツ人への反感が根底にありました。

一方、マリファナの場合にはメキシコへから来たヒスパニック系の移民に対する反発が背後にあったのです。

ましてや南米はカトリック教徒の国であり、しかも宗主国はスペインです。かつてスペインは『太陽の沈むことになり帝国』として繁栄を極めていました。その時の国王フェリペ2世は、ローマ・カトリックの守護者を自認し、ピューリタンに徹底的な血の弾圧を加えているのです。

大麻課税法の成立

アメリカ連邦麻薬局長官アスリンガーはマリファナ追放キャンペーン開始し、新聞や映画を使って宣伝を進めていきます。そのキャンペーンに世論も同調していくのです。

世論が形成されると連邦議会も反対することができなくなりました。

1932年に連邦麻薬取締局が提案した統一麻薬法案が採択されました。その法案では大麻とともに大麻の麻薬の1つに含まれることになったのです。ただし大麻の取締方法は各州に委ねられました。

さらに、大麻課税法が議会に提出されました。これは課税とともに使用時の手続きを煩雑にすることで実質的に大麻の使用抑制しようとするものでした。

1936年にその大麻課税法がルーズベルト大統領によって署名され成立しました。このようにしてアメリカから大麻が消えてことになったのです。

まとめ

アメリカ人の背後にあるピューリタンの発想

ピューリタンの発想がアメリカほど社会の基礎となっている国はないといっていいでしょう。

妊娠中絶手術を行う産婦人科医がアメリカの保守層に射殺されるような事件もあります。

また、アメリカでは生活すらできない貧困層がいる一方で、赤字企業の経営者が何十億円にもなる退職金を受け取っています。もしも日本人なら後ろめたさを感じるかもしれません。しかし、ピューリタン的な発想では、蓄財の額こそが神から選ばれた者であるという証であり、何ら道義に反することではないのです。

さらに、アメリカは世界に民主主義を広める使命のために、選ばれた国であるという病的な選民意識があります。その背後には、カルヴァン派であるピューリタンの予定説があります。つまり、自分たちはもともと選ばれた者として予定されていたという発想があるのです。

そのようなアメリカ人の意識は日本人には理解しがたいものです。しかし、その背後にあるピューリタンの考え方を知るなら、その理解はきわめて容易になります。

最後に

今回は、大麻規制のきっかけとなった禁酒法を説明し、その背後にあるピューリタンについて記載しました。

次回は、アメリカ産業界での大麻規制についての記事を記載する予定です。

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