前回は、シャネルが逮捕されるところまで記事にしました。
第二次世界大戦が勃発し、フランスはドイツに敗れます。ナチスが支配するパリで、シャネルはドイツの諜報員と恋仲となっていくのです。いつしか、シャネル本人もドイツの諜報員となっていきます。
しかし、パリ解放とともに、シャネルは連合軍に逮捕されることになったのです。
目次
第二次大戦終結
釈放
逮捕されたシャネルは、数時間で釈放されることになります。
イギリス首相チャーチルが介入したのです。
『彼女は大胆 かもしれないが、国益に反する行動をしたことは一度もない。彼女を静かにしておきなさい』
亡命
釈放されたシャネル宛に、緊急電報がとどきました。かつて恋仲であったウェストミンスター公爵からです。
『1分の猶予もありません。すぐにフランスを出て下さい。』
数時間後、シャネルはパリを脱出し、スイスのローザンヌに避難しました。
平和の鐘
スイスに避難してから8ヶ月たった1945年4月30日、シャネルはBBC放送の臨時ニュースを耳にします。
ベルリン市内に進撃したソ連軍の猛攻の前に、敗北を悟ったヒトラーが自殺したのです。
独裁者の死をスイス市民は歓喜を挙げて祝っていきます。
5月7日にはドイツは無条件降伏しました。
シャネルが避難していたローザンヌ中の教会でも、平和の鐘が鳴り響きました。しかし、ナチスへの報復に荒れ狂う祖国フランスに対独協力者のシャネルが戻れるはずもありません。終戦後もスイスでの亡命生活を余儀なくされるのです。
次第に、シャネルは世界から忘れ去れられていきます。
冷戦
鉄のカーテン
時代は移り変わっていきます。
ソ連は、ドイツから解放した東欧を勢力下に置き、共産主義政権を誕生させていきます。
元英首相チャーチルは、『ヨーロッパを横切って鉄のカーテンが下ろされた』とアメリカで演説し、ソ連に対する脅威を警告していきます。
世界は冷戦の時代に突入しました。
ベルリン封鎖
ドイツも東西に分裂し、首都ベルリンも東西に分断されました。共産主義に囲まれ陸の孤島となった西ベルリンを、ソ連は力ずくで封鎖していきます。
封鎖に対抗し、アメリカは西ベルリンへの生活物資を空輸で届けていきます。
かつてベルリンをじゅうたん爆撃したアメリカ航空機は、西ベルリン市民へ生活物資を届けることになったのです。
ヒトラーの象徴であったベルリンは、自由主義国の象徴となっていきます。
共産主義の脅威のなかで、ナチスは過去の歴史となっていくのです。
シャネル復帰
クリスチャン・ディオール
モードの世界も大きく変わっていきます。
悲惨な大戦の反動から、過剰な装飾のついた華やかなモードが脚光を浴びていきます。
先頭に立っていたのは、クリスチャン・ディオールでした。
『ディオールよ、これこそ真の革命だ。あなたの服こそニールックだ。』と絶賛を浴びていきます。
絞ったウエストやコルセット、装飾されたスカート。それは、女性らしさを前面に出すとともに、獲物となる金持ち男性を幻惑するためのような服装でした。それは、シャネルが目指していた女性の自立とは対極に位置していたのです。
復帰を決意するシャネル
シャネルの、戦闘本能に火がつきます。
退屈していたの。 それに気づくのに十五年かかった。 無よりも失敗を選ぶわ。
ココ・シャネル
移り変わりの激しいモードの世界で、引退したデザイナーが復活することは不可能といっても過言ではありません。しかも、シャネルは、70歳という高齢にさし掛かっているのです。
それでもシャネルは、挑戦します。
ヴェルテメール兄弟との和解
スイスのいる間に、ヴェルテメール兄弟との香水を巡る紛争も解決していました。全世界での香水の売上の2%と損害賠償金35万ドルをシャネルが受けとることで和解が成立していたのです。
和解後、ヴェルテメール兄弟は『あなたには才能がある。挑戦すべきだ』とシャネルにカムバックへの支援を申し出ます。
無残な失敗
1954年2月5日、シャネル71歳。パリの店を再開し、復帰コレクションが開催しされました。伝説のデザイナーを人目みようと人々が押しかけました。
しかし、結果は大失敗に終わります。『シャネルの時代は終わった』『全時代の亡霊コレクション』と各紙は酷評します。
人生がわかるのは、逆境の時、
私はひどく往生際が悪い、
一度葬られても、あがいて、もう一度地上に戻り、
やり直すことしか感が手いない。ココ・シャネル
シャネルは、次のコレクションの準備に取りかかります。
待ち続けるヴェルテメール兄弟
あまりの酷評に、莫大な資金を投じたヴェルテメール兄弟もたじろきます。このままでは、巨額の投資が回収不能となっていくだけでなく、シャネルとういブランドそのものが崩壊することになるからです。
ヴェルテメール兄弟は、シャネルの仕事場を訪ねました。しかし、ただひたすら仕事に打ち込むシャネルを見て、何もいわずに引き返します。
ユダヤ商人が成功する理由
古くよりユダヤ商人は、抜け目ない商才から欲深い金の亡者とみなされてきました。
しかし、有利な取引がもたらされる背景には、投資家としての忍耐強さと、必ず約束を守る経営者としての信用があるからに他なりません。
ユダヤ人のヴェルテメール兄弟にとって、シャネルはナチス協力者であり、しかも、裁判で争った相手です。そのシャネルに対して、忍耐強く支援を続けるような資質こそが、ヴェルテメール兄弟の、そしてユダヤ商人の成功の理由に他ならないのです。
ココ・シャネルの最高傑作
酷評されたシャネルスーツの写真を添付してみましょう。
このシャネルスーツは、その後ココ・シャネルが生んだ最高傑作と言われるようになるのです。
アメリカでの成功
次のコレクションを待つまでもなく、傑作スーツの真価が発揮されます。アメリカで飛ぶように売れだしたのです。
アメリカでは、ヴェルテメール兄弟の優れたマネジメント力により、シャネルというブランドは強い訴求力を持っていました。
さらに、発表されたシャネルスーツは、職場でも夜のパーティーでも着られ、シャネルらしい洗練されたものでした。まさに社会進出を果たしたアメリカ人女性が求めていたものだったのです。
アメリカのライフ誌も『着心地が良く、簡素でエレガントである』『シャネルはモードに最良のものをもたらした、革命である』と最上級の賛辞を送ります。
アメリカでの絶賛は、欧州にも回帰しました。
シャネルは完全復活しました。
シャネルの画期的な作品
ショルダーバック
シャネルが創り出すモードは、自分自身を投影するもの。つまり、社会に進出する女性が望むものに他なりません。
私は、いつだって自分が着たいと思うもの以外作らない。
ココ・シャネル
そうして、シャネルは画期的な作品を生み出していきます。
一つがショルダーバッグです。
女性が仕事をするときに、バックを抱えると、片手しか自由に使えません。しかし、チェーンを肩にかかるバックなら、両手が使えます。さらに、バックの中に、財布や小物を入れるための仕切りも考案します。すべて、実用から生まれたのです。
その後、シャネルのショルダーバックは、今やシャネル・モードを代表する作品となるだけでなく、女性バッグの原形となっていきます。
リップスティック型口紅
さらに、シャネルは『リップスティック型口紅』も生み出します。
それまで携帯できる口紅はチューブに入っていました。シャネルは手軽に口紅を使うことができるように、底を回転することでプッシュアップできる口紅を考案します。現在のリップスティック型口紅です。
この実用的な口紅は、働く女性にとっての必需品となっていきます。
妥協の無い仕事
完璧主義
シャネルはデザイナーとしての基本であるデッサンを描くこともできません。縫うこともできません。デザイナーとして何の教育も受けていなかったのです。
誰も私に何ひとつ教えてくれなかった。私はすべてを自分で覚えた。
ココ・シャネル
デッサンのかけないシャネルは、マネキンに布をかぶせてハサミで切ってひたすらデザインを整えていきます。もしも、仮縫いの服が着て気に入らないなら、容赦なく破棄していきます。
あるときに針子が泣き出していいました。
『もう24回目です。』
シャネルは答えます。
『じゃ、25回目をしてちょうだい。完全になるまでやり続けるのよ。』
専制君主
シャネルは社内では専制君主となっていきます。
仕事場でシャネルの足音がすると、社員は直立し身じろき一つしなくなります。シャネルが去ってようやく、そわそわと動き始めるのです。
独創性
シャネルは、デザイナーとしての一切の教育を受けていなからこそ、常識を逸脱した革命的なデザインを創造することができました。
みんな、私の着ているものを見て笑ったわ。でもそれが私の成功の鍵。みんなとおなじ格好をしなかったからよ。
ココ・シャネル
すべてを犠牲とする仕事
しかし、何の教育も受けていない分野で、独力で偉大な業績をあげていくためには、想像を絶する努力が必要です。
仕事のためには、すべてを犠牲にした。恋でさえ犠牲にした。仕事は私の命をむさぼり食った。
ココ・シャネル
関節リウマチが発症し、痛みと闘いながらも、コレクションの準備にとりかかります。
人がなんと言おうと平気。コレクションが終わったときは、自分が全力をつくしたことで、私は満足だから。
ココ・シャネル
モルヒネ中毒
いつしか、不眠症のために使う薬剤も、麻薬であるモルヒネに代わっていました。
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大麻と麻薬の違い その1【清帝国滅亡の引き金アヘン・悪魔の薬モルヒネとヘロイン】
最近、大麻についてカナダでは全面的に解禁となり、カリフォルニア州をはじめとするアメリカでの多くの州で解禁されてきています。それを受けて、大麻市場の拡大が期待され、コカコーラやアルトリアも大麻市場に参入 ...
昼には精力的に仕事を行うものの、夜になるとモルヒネの副作用でホテルで夢遊病者のようにもうろうと歩く姿が目撃されるにようになります。
また、夜になると少女時代に閉じ込めれらた孤児院の記憶が押し寄せ、急に大声で泣き出すようになってもきます。
晩年、親しい女性にこんなことを言っています。
『正しい人生を歩んでいるのはあなたよ。私よりも幸福よ。夫も子どももいるもの。私は独りぼっち』
次第に、モルヒネの禁断症状が悪化していきます。禁断症状のためにモルヒネを投与するしかありません。しかし、モルヒネには耐性がああり、少しずつ投与量が増加していくのです。
モルヒネ中毒者を投与し続けると、最後には呼吸中枢が抑制され、死に至ります。
死
シャネルも次第に死を意識するようになります。
魂は離れる。試練はもう充分長く続いた。『魂は神に委ねよ』私はこの表現が好き。
ココ・シャネル
1971年1月10日に、『魂が神に委ね』られる時が到来します。モルヒネを打ってすぐに意識を失いはじめ、『こうやって人は死ぬのね』と言い残して、息を引きとったのです。87歳でした。
最後に
今回、ココ・シャネルについての記事を作成しようと考えた契機は、『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』(東洋経済新報社)です。そこで、Appleブランドとラグジュアリーブランドの類似性が指摘されていました。中でも目を引いたのは、『アイコン的な創業者』というフレーズです。
Appleのアイコン的な創業者、スティーブ・ジョブズはあまりにも有名です。
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そのジョブズとの比較のために、おなじくアイコン的創業者であるココ・シャネルについて改めて学ぶことにしました。すると、ジョブズとの類似点多いことに驚かされました。しかも、ココ・シャネルは、ジョブズよりもはるかに波瀾万丈の生涯を送っています。そのため、当初2記事ぐらいと考えていたのが、5記事にもなりました。
今後、『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』を材料に、ジョブズとココ・シャネルとの比較についても、記事にしたいと考えています。
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