社会制度

28歳で老女としか見えない農民女性の困窮から誕生した市民法

投稿日:2018/3/31 更新日:

 

海外口座の税金について3回にわたり説明しました(その1 その2 その3)。そこでアメリカ法には、法の適正な手続きこそが適正な結果を導くという思想背景あり、適正な手続きが何よりも優先されると繰り返し述べました。

日本の法制度は、何が正しいかを定めることから始まります。一方、アメリカの法制度では最初から何が正しいかよりも、まず、適正な手続きが重視され、その手続きの課程で明らかになったことこそが正しいという発想です。そのアメリカ法が、90年代のアメリカでIT産業の急激な発展を後押しすることにもなったのです。

目次

日本の法制度『市民法』

アメリカ法の理解の必要性

アメリカ市場では、独禁法や企業合併についての最終判断はアメリカ連邦裁判所に委ねられます。その際に、アメリカ法の体系についての理解が役立つことは疑いありません。

アメリカ法については次回説明することとし、今回は日本の法制度について説明します。日本の制度を理解してこそ、アメリカ法との違い認識し、アメリカ法についての理解も深まると考えるからです。

市民法である日本の法制度

日本では、立法府である国会で、選挙で選ばれた議員が審議することで、法律が制定されます。そのため、その法制度について市民法あるいは成文法と言われています。国会で制定された法律に基づいて裁判所は判断を下していくのです。

その法体系は、明治維新の際にドイツやフランスから持ち込まれました。ヨーロッパ大陸諸国の法体系であることから、大陸法ともいわれます。ヨーロッパ大陸のなかでも、フランスを中心に発達しました。

市民法誕生の地 フランス

では、フランスでの流れを概観してみましょう。

ルイ14世の専制政治

17世紀に、ヨーロッパ大陸随一の大国フランスでは、ルイ14世の時代に絶対王政が完成します。その背景には国王の権力は神から与えられたものであり。絶対的なものであると考えがあります。これを王権神授説と言います。

ルイ14世は、その絶対的権力を背景にあいついで対外戦争を行います。しかし、多くの人命と国費をかけた外征も得たものはわずかにすぎませんでした。

また、パリ郊外に豪奢なベルサイユ宮殿を建築します。その建築は過酷を極め、徴用された農民からは多くの犠牲者を出していきました。建築現場からは、毎日のように死者を載せた荷車が運び出されていったのです。その民衆の犠牲の上に建設された宮殿では、毎日のように豪奢な宮廷行事が行われました。

そのような度重なる浪費により、国庫は急激に欠乏していきます。その負担は民衆への重税として重くのしかかったのでした。

その民衆の不満を抑圧するために、過酷な刑罰による支配が行われました。その中心となったのが裁判所です。ヨーロッパ大陸諸国での裁判所は、警察官、裁判官、検察官、刑罰の執行をかねていました。20世紀で言えば共産主義国の秘密警察のような組織だったのです。

そのような背景から、ヨーロッパ大陸で裁判所は王制の恐怖政治の象徴として恐れられることになったのです。

過酷な農民の生活

当時の困窮したフランスの農民の生活について、イギリスの農業学者アーサー・ヤングが『フランス旅行記』に書き残しています。

「1789年7月12日、馬を休ませる為に長い坂を歩いて登っていた時に貧しい女と一緒になったが、彼女は時勢をかこち悲しい国だと嘆いた。そこでその訳を尋ねると、女が言うにはこうだった。
「私の亭主は一片の狭い耕地と一頭の牝牛と一頭の痩せた馬しか持っていないのに、私たちは一人の領主に地代として1フランシャルの小麦と3羽の雛を、もう一人の領主には地代として4フランシャルの小麦と1羽の雛と1スーの貨幣を払わなきゃならない、もちろんこの他に重い人頭税や他の租税が課されている。」
この女は近くで見ても60歳か70歳に見えるだろう。それ程労働の為に女の腰はまがり、顔はしわを刻みこわばっているのだ。しかし、女の言うところでは、まだ28歳に過ぎないとの事だった。

『フランス旅行記』

民衆は重税で悲惨な境遇に追いやられ、都市は餓死者であふれていました。一方、貴族は無税の特権を持ち、毎晩のように宴が催されました。そこでは、音楽がなり、舞踏や演劇が催され、高価な宝石やきらびやかな衣装の彩られ、王妃や貴族はその仙境に酔いしれたのです。

 

革命による市民法の成立

しかし、享楽にふける貴族や王妃マリーアントワネットの前に地獄の門が開かれるときがやってきたのです。1789年7月14日フランス革命が勃発します。武器を持った民衆は専制政治の象徴であるバスティーユ牢獄を襲撃したのです。バスティーユ牢獄は恐怖政治を担っていた裁判所の象徴でもあったのでした。ソ連崩壊時に秘密警察の創設者ジルジンスキーの銅像がなぎ倒されたのと同様です。

革命は次第に過激化し、急進的勢力のジャコバン派が権力を掌握します。ジャコバン派独裁のもとでは、毎日のように多くの貴族が革命広場に送り込まれ、ギロチンの処刑台に消えていきました。さらには、国王16世や王妃マリーアントワネットもギロチンへと連行され、処刑されていったのです。

急進派のジャコバン派崩壊後は、さらに内乱の様相を呈し、おびただしい犠牲者を生み出して行きます。さらに、ナポレオン独裁、7月革命、2月革命等と動乱の時代をへていくのです。その後、市民から選挙で選ばれた議会が、法律を制定していく制度が確立しました。その法律により裁判所の権能が制限され、司法の濫用が防がれることになったのです。

その背景には、抑圧の象徴である裁判所の不信とともに、自分たちの代表者で構成された議会への信頼があったのです。

そのフランスやドイツのヨーロッパ大陸の法制度が、明治維新の日本に導入されたのでした。

市民法の利点と欠点

トンデモ裁判が起きにくい市民法の利点

市民法の国では、国民の代表による議会が法律を制定し、その法律により裁判所が判断をしていきます。そのために、裁判の基準は非常に明確で安定しています。さらに専門の裁判官が判断を下すことから感情に流されない理性的な判決になってきます。そのような市民法のもとでは、アメリカのような『とんでも裁判』を見かけることはほとんどありません。

アメリカでの『とんでも裁判』の例を揚げてみましょう。

①フロリダ州の女性が、同州のユニバーサルスタジオを訴えました。それは、ユニバーサルスタジオのお化け屋敷アトラクション「ハロウィン・ホラー・ナイト」が怖すぎて、精神的苦痛を負ったということです。結局、その女性は1万5000ドルの慰謝料を勝ち取りることになりました。ただし、宣伝効果を考えるとユニバーサル・スタジオの勝ちかもしれません。

②オレゴン州で40年間喫煙をしたことにより肺癌で死亡した男性の妻が大手たばこメーカーに訴えを起こしました。オレゴン州地裁で、7950万ドル(79億5000万円)の損害賠償の判決が下ります。その後タバコメーカー控訴するも、オレゴン州最高裁で、同額の損害賠償が確定しました。アメリカのタバコ訴訟は、バリュー投資家にとっても身近な話題と思われます。

迅速な対応が困難な市民法

一方、議会による制定される市民法は、世の中の移り変わりに迅速な対応できなくいという欠点もあります。議会での審議に時間がかかるからです。

逆に、アメリカ法は、世の中の流れに柔軟に対応できる利点があります。もちろん、『とんでも裁判』にみるように常識を逸脱した判決が出ることもあります。無条件のアメリカ賛美は慎むべきです。しかし、90年代には、そのアメリカ法の柔軟性がIT産業の発展に大きく寄与することになったのです。次回、そのアメリカ法について述べていきたと思います。

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