最近の株式市場は、ハイテク企業が支配していると言っても過言ではありません。
人工知能や、ブロックチェーン、量子コンピュータ等の新しい技術を開発するハイテク企業は、これからも世界経済を牽引していくことは疑いありません。
しかし、無条件でハイテク企業へ陶酔するのではなく、その背後にあるリスクを検討することも必要です。
目次
ファンダメンタルズの裏付けのあるハイテク企業
FAAMG銘柄
現在市場牽引しているハイテク銘柄の頭文字をとってFAAMGという言い方もあります。その5銘柄とはFacebook、Amazon、Apple、Microsoft、Googleの5銘柄のことを意味します。
5銘柄をはじめとする米ハイテク銘柄の株価高騰をバブルとして警鐘を鳴らす声も出てきています。
確かに、5社の時価総額を合わせると3兆8000億ドル(約420兆円)にも及び、ドイツのGDPをも上回ります。
しかし、2000年のITバブル時と異なり、現在の米ハイテク5社は莫大な利益を生み出しています。利益がなくとも期待値のみで株価は上昇したITバブルの時代とは明らかに異なります。
ゴールドマンサックスの見解
ゴールドマンサックスの担当者の記事を引用してみましょう。
ストラテジストのピーター・オッペンハイマー、ギョーム・ジェソン両氏はリポートで、「90年代のハイテク株人気とは異なり、こうした株価上昇は将来を巡る臆測ではなく力強いファンダメンタルズや収入、収益で主に説明できる」とし、「バリュエーションがさほど膨らんでいないことを踏まえると、株式市場における群を抜いた規模とリターンへの貢献がすぐに終わることはないだろう」と指摘している。
バフェット氏の格言からの再確認
しかし、投資家バフェット氏このような格言を残しています。
他の投資家が貪欲になっている時には慎重に。他の投資家が慎重なときには貪欲に。
ウォーレン・バフェット
今回、改めてハイテク株式市場を冷静に見直し、その死角を検討したいと思います。まず、史実から参考となる資料を探していきましょう。
強固なファンダメンタルズと15のPERで崩壊した株式市況
PER15での株式市場の崩壊
文献を探すことにより、強固なファンダメンタルズとPER15と高くないバリュエーションにも係わらず、潰滅的な株式市場の暴落が引き起こされた史実を見つけることができたのです。
その時代、3年間でダウ平均は2倍も上昇しました。
しかし、それ以上の企業の利益が上昇していたのでした。そのため、暴落直前のバリュエーションはPER15に過ぎなかったのです。
当時、誰もが強いファンダメンタルズの裏付けと低いバリュエーションから、株式市場はさらなる高値を更新すると確信していました。
リーマンショック以上の暴落
しかし、株式市場にもたらされたのは歴史上例をみない大暴落だったのです。
その大暴落こそ、1929年10月24日ニューヨークの『暗黒の木曜日』に他なりません。暴落は大恐慌の引き金ととなり、世界経済に潰滅的打撃を与えることになったのでした。
2008年のリーマンショックを100年に1度の暴落と表現する投資家もいます。しかし、リーマンショックの暴落は50%に過ぎません。
1929年の大暴落後、ダウ平均が1933年にようやく底を打ったときは、最高値から87%も下落していたのです。そうして、株式市場には、まるで墓場のような廃墟が残されたのです。
新しいテクノロジーによる社会の変化
その推移を見てみましょう。
1919年 第一次世界大戦が終了し、覇権を握っていた大英帝国の衰退が明らかになります。政治的な覇権はかろうじて維持していたものの、経済面の衰退は覆うべきもありません。
基軸通貨は英ボンドから米ドルへの移行し、アメリカには世界中から資本が流入します。
そのアメリカでは、新しいテクノロジーが急激に普及します。
電力の普及ととも、アイスボックスは電気冷蔵庫にかわりました。さらに、アイロン、洗濯機、掃除機のような家電製品が普及していきます。
また、油をともすランプは電灯にかわります。電灯が灯されたマンハッタンには華やかな夜景をもたらされ、アメリカ繁栄の象徴となっていくのです。
街を走る馬車はT型フォードの自動車におきかわり、電話も一般大衆に急激に普及していきます。
娯楽やメディアには、レコード、ラジオ、映画が出現します。
ラジオ放送のベーブルースの活躍やリンドバークの大西洋単独飛行に、民衆は熱狂の渦に没入していきます。さらに、ラジオ放送で流れる宣伝によって、大衆の消費をさらに刺激されていきます。
新しいテクノロジーは、もはや日常生活と切り離すことができない『生活必需品』となったのでした。
新しい決済手段
決済手段にも進歩が認められました。それは分割払いです。
分割払いの普及により、電気冷蔵庫、自動車のような高価な消費財も一般大衆へも急激に普及していくのです。
そのような家電、自動車、電話、ラジオ放送の普及は、企業業績を著しく向上させていきます。
企業は、その利益をもとに、さらなる設備投資を行い規模を拡大していきます。その規模の拡大は、より多くの雇用をもたらし、多くの中産階級が生み出されていくのでした。新しく誕生した中断階級の購買力により、企業の業績をさらに拡大することになったのです。
大衆への株式投資の普及
もともとウォール街では、株式の売買は業者間のみで行われていました。一般大衆が株式投資に参加することはほとんどなかったのでした。
ウォール街の投資銀行家は一般人にも株式の取引を促すしくみを整え、市場を拡大します。
株取引で、巨額の富を形成した個人投資家がメディアでもてはやさせるようになりました。さらに、映画スターのチャップリンらも株取引で利益を得たことがラジオで宣伝されるようになりました。
当初、株取引は危険なものと思われていました。しかし、株取引で資産を増やす個人投資家や映画スターに刺激され、大衆は次第に株式投資へ興味を抱くようになります。
さらに、電話の普及で、簡単に株取引ができるようになりました。それにより、一般大衆への株式投資の普及に拍車がかかったのです。
株式投資を更に身近にするために、電話線につないだ市況速報機がナイトクラブ、駅、映画館の街のいたるところに設置されます。それの市況速報機をティッカーといいます。ティッカーにより取引所の最新の株価速報が印刷され、街の至るところで株価の確認ができるようになりました。
そのようにして、投資家は300万人を超えることになりました。
当時人気にあった株は、ラジオ会社、家電企業、自動車会社でした。とくにラジオ会社RCAは、ラジオ放送による宣伝広告費により莫大な利益を計上し、絶大な人気を誇ることになります。
もはや、新しいテクノロジーが世界を変えることは明らかであり、株価は上がることが当然と思われたのでした。
レバレッジ取引の普及
人々はさらに多くの株を買うことを望むようになりました。その大衆の要求に応え、信用取引が誕生しました。
その後、株式投資の資金源のまさに9割が信用取引となったのです。しかも、当時限度額すらなかったのでした。
銀行も株式投資への融資に取り組みはじめます。その融資はブローカーズローンと呼ばれました。融資額の10%の担保で借りることのできる融資は、金利が8から10%にも及ぶにもかかわらず、高い人気を呼んでいきます。株価の上昇はもはや物理法則と同様の不変の真理と思われていたからでした。
ブローカーズローンは9年で8倍にも膨れあがり、銀行融資の40%にも及ぶようになったのです。
『今回は違う』
人々に莫大な富をもたらしたウォール街は、絶大な力を保有することになり、政府に金融への規制を抑制する動きを強めます。
市場は『神の見えざる手』が調整を行い、政府の規制はテクノロジーの発展を止めてしうと主張されたのでした。
金融の世界は変わった。世界はグローバル化になり、さらに発展することは疑いない。未来は明るい。
ウォール街の銀行家はそう主張しました。
時の大統領フーバーも『貧困は無くなる』 と発言し、GM会長も『誰もが金持ちになる権利がある』との寄稿をします。
アメリカの株式市場は、一片の雲もない青空に駆け上がったようにみえました。当時、指導的な経済学者フィッシャー教授は『株価は、恒久的に高い高原のようなものに到達した』と有名な宣言をします。
ほどんどの有力者が口を揃えてこう発言したのです。
『今回は違う』
破綻の足音
宴の背後で、破滅の足音は近づいてきていたのです。
29年まで、家電製品や自動車の売り上げは毎年2桁増と怒濤の勢いで上昇しました。しかし、その売上の多くは、一般大衆の割賦販売という借金による購入だったのです。さらに、車、家電も必要な家庭にはすでに行き渡り、在庫が増え始めていたのです。その上、大衆には、もはやそれ以上借金をする余裕がなくなっていたのでした。
しかし、企業はさらなる景気拡大を予想し莫大な設備投資を行っています。
また、株価を支えていたのは信用取引だったのです。株価はそれ以上高値で買える投資家がいない限り値上がりすることはありません。もはや投資家にはもそれ以上の高値を追う資金的余裕が無くなっていたのでした。
その時に、イギリスの公定歩合がアメリカの金利を超えると発表されたのでした。機関投資家の資金は、ニューヨークのウォール街からロンドンのシティへと移動を開始します。
潰滅的な大暴落、そして恐慌
突然の終焉
ついに、破綻は来たのでした。
1929年10月24日、後に『暗黒の木曜日』と歴史に名を刻む日の到来したのです。10年にもおよぶ好景気は突然終焉を迎えたのでした。
朝より、怒濤の売り注文で株式市場は幕を明けます。取引所は大混乱となり、1時間ごとに数%の下落が襲っていきます。
当時は市況速報機のティッカーのデータを打ち込み作業は、事務員の手作業でした。莫大な売りにより手作業が遅れます。証券会社の店頭では信頼できる株価がわからないことで不安にかられた投資家は次々とニューヨーク証券取引所に押しかけます。その混乱を沈めるために治安部隊が出動することになったのです。
昼に銀行家が会合を開き、株価の買い支えを決定しました。午後1時からの銀行家の買い支えにより、株価は持ち直します。
しかし、週末に個人投資家は信用取引のリスクに初めて気がつくことになったのです。銀行や証券会社は、投資家に担保を迫ってきます。そして、期日までに担保がないなら強制売却と待ったなしの状態となったのです。
週のあけて28日の月曜日に、いっせいの個人投資家による売りのパニック起きます。もはや銀行の買い支えで食い止めることは不可能でした。
翌日の火曜日も暴落は続き、月曜日から火曜で22%も下落していきます。暗黒の木曜日から翌週火曜日までの5日間での損害は、アメリカ流通通貨の倍にも及んだのでした。
銀行の破綻により預金を失った一般市民
株式市場の暴落が実態経済の波及することに時間はかかりません。
ブローカーズローンから投資をしていた投資家はすべての資産を失うことなったのです。
ブローカーズローンの焦げ付きは、銀行不安を引き起こし、取り付け騒ぎが起こります。当時は預金保護の制度すらありません。取り付け騒ぎは、銀行の財務状況をさらなる悪化に追い込み、その年だけで1300もの銀行は破綻に追い込まれたのでした。その結果、多くの民衆が預金を失うこととなったのです。
レイオフの嵐
設備投資を回収できない企業は急速に資金不足に追い込まれ破綻が相次ぎます。また、レイオフの嵐が吹き荒れ、失業は4人に1人にも及びました。その結果、大衆の購買力が低下し、企業は繁栄の基盤を失うことなったのでした。
最後に
1929年の大暴落は、空前のバブルの崩壊という印象を多くの方が抱いているかもしれません。しかし、後にアメリカ議会に提出された資料によれば、株式市場はPER15程度の実態経済との乖離がほとんどないバリュエーションだったのです。
今後の『ハイテク株式市場の死角 その2』では、その検討をしていく予定です。
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