Google Yahoo! 投資雑談

【復学よりもGoogle起業を勧める教授】Yahoo!とGoogleの興亡 その2

投稿日:2019/11/16 更新日:

 

前回は、繁栄を謳歌するYahoo!と、創業前のGoogleについての記事でした。

Googleを創業することになるペイジとブリンは、まず検索エンジンをYahoo!に売り込んでいたのです。価格は100万ドル(1億円)。しかし、Yahoo!は興味を抱きません。

その後も検索エンジンの売却先を当たるものの、どこも門前払いだったのです。

目次

Googleに出資した4人

スタンフォード大学チェリトン教授

検索エンジン売却を諦め、復学を望むペイジとブリンは、チェリトン教授に自宅を案内されました。

『博士課程なんていつでも復学できる。今は検索エンジンで起業をしてみてはどうか。』

2人は教授の言葉に耳を疑います。教授はさらに続けました。

『自分たちを安売りするな。資金の心配はする必要はない。』

教授は、現在王者のYahoo!が衰退することをはっきりと認識していたのです。

ユーザーがインターネットを使う目的は、自分達が知りたい情報を探すためです。しかし、Yahoo!やexciteは自分たちのサイトにユーザーが留まることに拘泥し、必要のない情報を押しつけている。いずれ、次世代のツールに敗北するだろう。その次世代ツールこそ検索エンジンかもしれない。

教授はこのように考えていたのです。

ベンチャーキャピタリスト(VC)のベクトルシャイム

チェリトン教授は、知人であるベンチャーキャピタリスト(VC)のベクトルシャイムを呼び出します。

教授から『是非あって欲しい若者がいる』と聞き、ベクトルシャイムは、愛車のポルシェを走らせ、到着しました。

そうして、検索エンジンのデモが始まると、『これは凄い』と感銘の声を上げ、その場で10万ドルの小切手を切ります。当時ペイジとブリンは銀行口座すら持っていません。ベクトルシャイムは、 出勤を急いでいたこともあり『口座を開いたら預ければいいだろう』と言い残すとその場を走り去っていきました。出勤途中にスタバでフラペチーノを頼むような気軽さで、Google最初の投資家となったのでした。

起業家時代のベクトルシャイムとチェリトン教授

VCのベクトルシャイム、そしてチェリトン教授。彼らは一体何者なのでしょうか。

もともとベクトルシャイムは、サン・マイクロシステムズ共同設立者の一人でした。

95年にはサンを退職し、教授就任前のチェリトンとともにイーサーネット技術を開発しました。そして、新技術を大手IT企業に売り込みます。しかし、どこも興味を示しません。

2人は、これを起業の絶好のチャンスと考えます。卓越した新技術を作りながらも既存企業がそれを評価しない時こそブルーオーシャンが目の前に広がっていると判断したのです。

予想通り会社は急成長し、1年余りでシスコシステムズ(CSCO)に高額で売却することができました。

その後、ベクトルシャイムはVCとなり、チェリトンはスタンフォード大学の教授に就任します。

2人は、それぞれ25万ドルづつ出資をすることになり、Google最初の出資者となります。

3人目の出資者

3人目の投資家も現れます。Netscape共同設立者であるシュリラムでした。シュリラムは、ペイジとブリンの検索エンジンの売却のため、Yahoo!やexciteを紹介した人物です。

4人目の大物出資者

4人目の出資者も現れます。

3人目の出資者シュリラムは、起業したネット製品比較サイト『ジャングリー・ドットコム』売却の手続を進めていました。

その買い手となるIT起業家が、4番目の出資者となります。

書籍のネット販売を創業し、『ジャングリー・ドットコム』買収により書籍以外のオンライン販売へも手を広げようとしていたIT起業家。

Amazonのベゾスに他なりません。

シュリラムから話を聞いたベゾスは、検索エンジンに強い興味を抱きます。

そうして、ベゾスと妻のマッキンジーは、シュリラムの自宅で、ペイジとブリンに合うことになったのです。ベゾスは2人がただ者ではないことを見抜きます。さらに、検索エンジンのデモを見るとすぐに出資を決めたのです。

Google創業

会社成立

こうして、Google最初の出資者4人が揃いました。1人25万ドル、合計100万ドルの出資金が集まり、Google社が成立しました。

ガレージ

ブリンとページは知り合いの女性エンジニアのスーザンからガレージを借り、事務所とします。

スーザンはインテルで勤務し、夫は技術会社のプロダクトマネージャーでした。

さらに、知り合いのベンチャーキャピタリストにもGoogleを紹介していきます。しかし、その反応はかんばしいものでは無かったのです。

ベンチャーキャピタルの反省文

ベンチャーキャピタルのwebサイトで反省文が公開されています。

大学時代に仲良くしていた女性が、自宅のガレージをラリーペイジに貸し与えていた。1999年と2000年に、彼女から『新しい検索エンジンを開発している凄く頭の言い学生がいるから会ってほしい』という熱烈なアタックを受けた。

学生?検索エンジン?

私は彼女に、『どうしたら君の家からガレージの前を通らないようにして外にでられる?』とたずねたぐらいだ。

Bessemer Venture Partners

もちろん、創業当時のGoogleは、収益の糸口すらみつからないベンチャー企業に過ぎません。将来性を見抜けないのは当然かもしれません。

Yahoo!衰退の予兆

繁栄するYahoo!

一方、Yahoo!はネットバブルを謳歌し繁栄を極めていました。メールや、天気予報、ニュース、トラベルと様々なサービスを抱え、成長軌道を突き進んでいたのです。

孫正義の懸念

しかし、Yahoo!出資者である孫正義は、衰退の予兆を感じ取っていました。それはYahoo!創業者ヤンの検索エンジンに対する考え方からでした。ヤンは、『サイトの善しあしは人間の目で 判断する必要がある。検索エンジンはいずれ コモディティー化する』と考え、『Yahoo!はローテクでいいんだ。』と公言していました。

さらに、98年にグーグ ルが誕生してからも『下請けで使えばいい』と放言していたのです。

時代の移り変わりの早いIT業界にとって、その地位に安住することは、衰退を意味することに他なりません。台頭する次世代技術に敗れ消滅する運命しかないのです。

孫正義の次の投資先

孫正義は、アメリカのYahoo!に見切りをつけ、次世代の起業家への投資を開始します。

当時の中国では、いまだインターネットは普及の兆しすら見せていません。しかも言論は厳しい統制を受けてます。

その中国の杭州にある粗末なアパートで、元英語教師がネット販売会社を設立していました。その元英語教師こそ、アリババの創業者ジャック・マーに他なりません。創業間もないアリババは,当時の売り上げはほぼゼロであり、決算も赤字でした。

しかし、2000年ジャック・マーと会った孫正義は、『野性的な直感』から5分ほど話しただけで20億円の投資を即断即決します。ソフトバンクはアリババの筆頭株主となります。

Yahoo!のGoogle買収交渉

Googleに支援するベンチャーキャピタル

1999年になると、Googleは有力ベンチャーキャピタルからの出資を受けることに成功します。クライナー・パーキンスと、セコイア・キャピタルです。

セコイア・キャピタルは、Yahoo!やPayPalを早くから支援している名門です。

クライナー・パーキンスも、Amazon、Netscape、AOLなどに実績がある老舗です。

かつてアメリカのプロバスケットボールNBAに革命をもたらしたVCもクライナー・パーキンス出身です。

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資金の枯渇

検索エンジンのアクセスは急激に上昇していました。

Googleは、その検索エンジンを有償で提供し、わずかばかりの収益を上げていきました。さらに、2000年には、Yahoo!公式検索エンジンに採用されます。

それでも、赤字は急速に膨らんでいきました。資金は次第に枯渇していきます。

新GoogleCEO

ベンチャーキャピタリストたちは、ペインとブリンは、時間を無駄にしていると考え、プロのCEOを送り込みます。

エリック・シュミットです。

アップルや、サン・マイクロシステムズで幹部を歴任した輝かしい経歴の人物です。しかも、腰が低く、我の強いペイジとブリンと協調するにはうってつけのCEOでした。

新Yahoo!CEO

Yahoo!にも新しいCEOが就任することになります。

ワーナー・ブラザーズで24年にわたりCEOを務めたきたテリー・セメルCEOです。

Yahoo!はサービス拡張のため、ハリウッドでは知らない物はいない大物セメルに白羽の矢を立てたのでした。セメルは様々なコンテンツを購入するとともに積極的なM&Aも進めてきます。さらに、再度Google買収に乗り出します。

Yahoo!とGoogle幹部の会食

Google創業者のベイジとブリン、CEOのシュミット、Yahoo!のセメルCEOの間でで会食が開かれました。

セメル『ちょっと教えてくれないか。われわれは君たちにとって最大の顧客だろう。でも私たちが支払っている金額は年間1000万ドルにも満たない。そうだろう。』
ペイジとブリン『その通りです。』
セメル『それならどうやって食ってるんだ。まともな収入はないじゃないか。』
ペイジとブリン『また、利益は全くない。でも、自分たちのしていることが好きなんだ。』
セメル『よかったら君たちの会社を買おうか。』

買収交渉

そこから、再びYahoo!のGoogle買収の交渉が始まります。

当初セメルは10億ドルも出せば十分だろうと考えていました。しかしYahoo!幹部はグーグルの価値は最低でも50億ドル(約6100億円)とはじき出します。それでも、セメルは30億ドル(約3700億円)というオファーを出したのです。セメルCEOは部下にこう言います。『50億だか70億だか100億だか、俺はあいつらのホントの価値なんぞ知らんし、お前らもわかってない。こんなことやるわけねーんだよ!』

もしも、このとき、100億ドルであれば、ベイジとブリンはGoogleを売却していたかもしれません。

しかし、今回の買収も失敗に終わります。そして、Yahoo!がGoogleを買収するチャンスは永久に失われることになるのです。

Yahoo!没落とGoogle興隆

孫正義の虚言

2002年、孫正義は、ソフトバンクの取締役会で『Yahoo!アメリカでは既に落ち目だ。大きく変更していかないと日本も大変なことになる』と激を飛ばします。

しかし、当時ソフトバンクの幹部は、米国のYahoo!凋落と聞いて狐に包まれた感覚になります。孫正義CEOの戯言と考え、全員がそのまま聞き流しました。

検索エンジンを富に変える鍵

その直後、ついにGoogleは検索エンジンを莫大な富に変える鍵を解き明かすことになります。

そこから急激なYahoo!の没落と、Googleの興隆がもたらされていくことになるのです。

つづく

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