現在、Googleは、インターネットを支配しているといっても過言ではありません。
しかし、20年前の2000年、ネットバブルの時代にインターネットを支配していたポータルサイトはYahoo!でした。当時、Googleは零細ベンチャー企業の1つに過ぎなかったのです。
では、Yahoo!は一体どのようにして頂点に登りつめたのでしょうか。
また、時代の寵児として絶頂を極めながら、どうして急激に崩壊していったのでしょうか。
今回から、Yahoo!とGoogleという両雄の興亡を見ていくことにしましょう。
目次
Yahoo!
Yahoo!創業
Yahoo!は、スタンフォード大学の大学院生デビット・ファイルと台湾生まれのジュリー・ヤンとにより創業されました。
1994年当時、世界中でウェブサイトが次々とつくられてました。しかし、ユーザーはどこにどのようなサイトがあるのか知るすべは無かったのです。
ヤンとファイロは、教授が休暇であることいいことに、修士論文をサボって、趣味のネットサーフィンに没頭していました。さらに趣味が高じて、気に入りサイトをホームページで紹介するようになります。やがてサイトをカテゴリーに分類していきました。
当時は、それが巨大な事業となるとは予想すらしていません。
しかし、この便利なサービスは評判となり、次第に人気となっていきます。
2人は、サイトの名をYahoo!としました。それは、ガリヴァー旅行記に登場する『ならずもの』の野獣が由来でした。
インターネット時代の幕開け
1994年10月、Netscape社がインターネット閲覧ソフトNetscape Navigatorを開発し、インターネットの時代の幕を開けます。今のInternet ExplorerやSafariです。
Netscape Navigatorの画面の最上部には『ディレクトリー』と書かれたボタンがあります。そこから、直接Yahoo!にリンクできることになっていました。
Yahoo!のアクセスは爆発的に増大し、世界中から人気が集まるようになっていきます。
投資家の出現
半年後の1995年の4月に、ベンチャー投資銀行の『セコイア・キャピタル』の担当者が、Yahoo!を訪れます。
事務所のトレーラーハウスは、遮光カーテンで仕切られ、宅配ピザの箱が山のように積まれていました。コンピュータは、その隙間にあるに過ぎません。しかも、社員はたったの2人です。
投資銀行の担当者は一瞬たじろきます。しかし、Yahoo!のサイトには将来性を感じ、200万ドルの出資を決断します。さらに、プロの経営陣を送り込むことになりました。
しかし、当時は、収益を上げる方法すら見つかっていません。半年後には資金は尽きかけようとしていました。
その時、新たな大口投資家が現れます。ソフトバンクの孫正義です。当時でも従業員は6人に過ぎません。それでも、孫正義は、Yahoo!に強く興味を抱きます。すぐさまシリコンバレーへ飛び、ヤンに会いました。そして、その場で2億円の投資を決断します。
広告ビジネス
1995年の暮れ、Yahoo!はついに広告導入を決断します。投資家からの資金提供を受けた以上、収益を上げなくてはいけません。世界中からアクセスが増え続けているYahoo!にとって、収益のためには広告導入しかなかったのです。
しかし、その広告ビジネスは爆発的に拡大していきます。すぐさまゼネラルモーターズや、VISAの大手6社と広告を出すようになるのです。
ネットビジネス時代の幕開けです。
急成長
それからの5年間、Yahoo!は経営史上かつてないほどの勢いで成長していきます。
96年1月の段階で、従業員数15名、年商2億円、毎月1億円の赤字を出していました。しかし、孫正義は、Yahoo!に対しさらに100億円の投資を決めました。
2月のスーバーボウルでは、Yahoo!は、コカコーラや、ディズニーとともにスポンサーに名を連ねるようになります。
4月には株式が公開され、初日で2.5倍にも株価は高騰します。伸び率は史上3番目の高さでした。
Yahoo!は、プロダクトサービスのラインナップを急速に拡大していきます。
1997年1月には、チャットルーム、10月にはメールシステム、11月にはトラベル部門。1998年に入ると、オークション、ゲーム、不動産、カレンダー、ショッピング、アドレスブックが加わっていきます。
いつしか1日中インターネットを使用しても、Yahoo!のサイトから出る必要は無くなっていきました。まさにYahoo!はポータルサイトの代名詞となっていったのです。
多くの大企業が王者のYahoo!を打ちのめそうとするも、手痛い敗北を喫し、撤退を余儀なくされていきます。
1998年には、Yahoo!は、時価総額230億ドル、収益は5億9000ドルに達し、その成長は留まることを知りません。
しかし、ネット業界では、時代の覇者は、新たに台頭する破壊的イノベーションに破れ、消滅してしまうことが常なのです。
ビル・ゲイツの予言
記者のインタビュー
当時、IT業界を一極支配していたMicrosoft創業者ビル・ゲイツに記者がインタビューをしました。
『もっとも警戒しているのはどんな会社ですか?』
ゲイツが少し考えてから答えます。それは、記者が全く予想していなかった相手でした。
『私が恐れているのは、ガレージで全く新しい何かを生み出そうとしている起業家だ。』
半分外れた予想
ゲイツの予想は、半分は外れることになります。
その後、Microsoftの一極体制を崩壊させる最大の企業は、ベンチャー企業ではなく、その時倒産寸前となっていた企業だったのです。従業員の2ヶ月分の資金のストックしかなく、主力商品のMacintoshを売れば売るほど赤字となる企業、Appleです。
半分当たった予想
しかし、ゲイツの予想の半分は当たることになります。
Microsoftの覇権を終焉させ、破竹の勢いだったYahoo!を解体へと追いやっていくベンチャー企業もガレージで産声を上げようとしていたのです。それこそGoogleに他なりません。
Google創業
検索エンジン
Googleは、スタンフォード大学の大学院生ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンにより創業されました。
1996年、2人は、博士課程のテーマに検索エンジンの研究を開始します。
そうして、画期的な検索エンジンを開発しました。それは、リンクされている数によって、サイトの優劣を判断する方法でした。
優れた論文は、多くの研究で参考文献として引用されます。引用される件数が多ければ多いほど価値の高い論文という訳です。同様に優れたサイトは、多くのサイトにリンクを張られると考えたのでした。
2人は、スタンフォード大学の研究室で完成した検索エンジンのテストを行います。結果は、予想を上回るものでした。
IBM
当時、リンク数からサイトをランクの付けを行う方法は、ペイジとブリン以外にも2人の人物が気づいていました。
一人は、IBMの研究者クラインバーグです。その検索エンジンはIBM内でも評判となりました。しかし、結局はビジネスには発展することなく終了します。
百度(バイドゥ)
もう一人は、アメリカの中国人エンジニア李彦宏です。当時ダウ・ジョーンズ社に就職していた李は、そこで検索エンジンの部門を立ち上げようとします。しかし、結局は、社内の協力が得られず頓挫します。落胆した李は、その後中国に帰国しました。そして、検索エンジンを主力としたIT企業を創業します。その企業こそ、後に中国のGoogleと言われる『百度(バイドゥ)』です。
人気となる検索エンジン
話をGoogle創業者ラリーとペイジに戻しましょう。
2人は、スタンフォードの研究室にあるサイトで検索エンジンをアップします。サイトは瞬く間に人気となり、世界中から、アクセスが集まるようになります。あまりのアクセスの多さから、ついに大学のサーバーはダウンしました。2人は大学の外に出ることを余儀なくされます。
しかし、当時ペイジもラリーも、検索エンジンの価値を十分には理解していません。そもそも、起業に乗り気ではなかったのです。むしろ、博士号の取得に専念することを考えていたのでした。
検索エンジン買収を断るYahoo!
2人は、検索エンジンを買い手を探していきます。後にGoogleを時価総額8900億ドル(95兆円)にまで押し上げることになる検索エンジン。すぐに買い手は見つかりそうです。
しかし、当時どこにも相手にされなかったのです。
まず時代の寵児となっていたYahoo!を訪れます。ペイジとブリンが面会したのは、Yahoo!創業者のヤンとファイドでした。
ペイジとブリンが提示した売却額は100万ドル(1億円)。当時のYahoo!にとっては、はした金です。それでも、Yahoo!の創業者は、検索エンジンに興味を示さなかったのです。
優れた検索エンジンなぞ必要ない
そこで、2番手のポータルサイトexciteへの売却を打診します。
当時、exciteは、王者Yahoo!を追撃するため先端技術も積極的に導入していました。
exciteの重役とのミーティングが寿司レストランで開かれました。ペイジとブリンは、自分達の検索エンジンがいかに優れているかを、exciteの検索エンジンと比較します。
最初、『インターネット』の単語で検索しました。
exciteが表示した検索結果は中国語のウェブサイトでした。そこには大量の漢字の中から英語で『インターネット』という文字が浮がるようなサイトだったのです。
一方、ペイジとブリンの検索エンジンで『インターネット』と入力すると、ブラウザの使い方に関するサイトが出てきました。まさに、検索したユーザーのニーズに完全にマッチしている内容だったのです。
exciteの創業者は、ペイジやブリンと同様、スタンフォード出身の若者です。創業者は検索エンジンに興味を持ちます。
しかし、当時exciteには、ベンチャーキャピタルが出資し、年長者のCEOを送り込んでいました。時のCEOジョージ・ベルは、メディア大手タイムズ・ミラー社の雑誌担当役員を務めた人物です。
ベルCEOは、精度の高い検索エンジンなぞ必要ないと考えていたのです。
ポータルサイトで最も重視されていたのは、ユーザーをいかに長時間サイトに引き留めるかでした。それは、広告収入がユーザーの滞在時間に依存しているからです。
もしも、ユーザーのニーズを瞬時に満たす検索エンジンを導入すれば、サイトの滞在時間は非常に短いものになってしまいます。
ベルCEOは 『exciteの検索エンジンの品質は、他の検索エンジンの80%に抑えるべきだ』2人に告げたのでした。
exciteのベンチャーキャピタリストの一人は、検索エンジンに興味を持ち、売価額を75万ドルにまで下げることを交渉します。ベイジらもその価格に承諾します。それでもベルCEOは買収を却下したのでした。
ビジネスを諦めるラリーとペイジ
その後も、2人はどこに言っても門前払いとなります。
さすがのペイジとブリンも落胆を隠せません。もはや、学業に戻るしかないと考え、チェリトン教授に今までのいきさつを報告しました。
教授は、2人を自宅に招くことにしました。
ペイジとブリンは、緊張した面持ちで教授の自宅を尋ねることになります。まさに、検索エンジンの創業は消えようとしていたのです。しかし、教授の自宅では、予想外の結果が待っていたのでした。
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