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【フィリップモリス倒産・統計学者ナイチンゲール】フィリップ・モリスの興隆と蹉跌 その4

投稿日:2019/10/19 更新日:

 

前回、職人フィリップ・モリスの生涯について記事にしました。フィリップ・モリスは無名のタバコ職人として過ごし、早逝したのです。そして、未亡人が取り残されました。

一方、フローレンス・ナイチンゲールについては、幼少時代からクリミア戦争前までの内容でした。

今回は、その後について話していきましょう。

目次

クリミア戦争

開戦

ロシア皇帝ニコライ1世はトルコに宣戦し、クリミア戦争が始まりました。イギリスもトルコを助けるため、クリミア戦争に参戦します。

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しかし、イギリス陸軍のずさんな医療体制から病院内でチフスやコレラが蔓延し、兵士は次々と亡くなっていきくのでした。特派員により、現地の悲惨な状態が報道されていきました。

クリミアでの活躍

ナイチンゲールも、報道からクリミアの状況を知ることになります。その時、『フローレンスよ。行け』という神の声を聞いたのです。

フローレンスは、クリミアに行くことを決断しました。

ちょうどそのころ、ハーバート陸軍大臣もフローレンスに、看護団の派遣を依頼していたところだったのでした。

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クリミアでのナイチンゲールの活躍はメディアに報道され、熱狂的な賞賛を浴びていきます。

フローレンスの邸宅には人盛りができ、そこらかしこでフローレンスの肖像画や人形までもが売られていきます。

終戦

一方、イギリス陸軍の負傷兵に対する杜撰な対応は国民からの非難をあび、内閣は退陣に追い込まれました。そうして、1855年2月、イギリス帝国主義の権化ともいえるパーマストン卿が首相に任命されたのです。

パーマストンの登場により、ロシア皇帝ニコライ1世は動揺し、新内閣の体制が整う前に勝敗を決すべく攻勢をかけます。

しかし、ロシア軍は大敗を喫するのです。軍崩壊の報を聞いたニコライ1世はそのまま意識を失い、息を引き取りました。

もともと、戦争は、ロシア皇帝ニコライ1世が、幕僚の反対を押し切って踏み切ったものでした。皇帝の死により次第に厭戦気分が広がってきます。

1856年4月にパリ条約が結ばれ戦争は終結しました。

帰国

英国政府は、『英雄』ナイチンゲールの帰還を国をあげて迎える意向を示し、軍艦一隻を派遣し、護送することを提案します。しかし、フローレンスは目立つことを嫌い、きっぱりと断ります。

最後の兵士の帰国を見届けると、スミスと偽名を使い船で帰路につきました。誰にも気づかれることなく邸宅に到着したのです。

フローレンスの姿を窓越しに見つけた家族は、涙ながらに飛び出して迎えました。

フィリップ・モリス

わずかな遺産

話をフィリップ・モリスに移しましょう。

零細タバコ職人フィリップ・モリスが未亡人に残した資産はわずかなものでした。

作業場に残されたのは簡素な職人道具や古ぼけた冊子のみでした。しかし、何の価値もないような古ぼけた冊子が、後に莫大な富を生み出していくのです。それこそが職人フィリップ・モリスが精魂を込めて研究した『マールボロ』のレシピだったのです。

再興

夫を若くして無くした未亡人は、フィリップ・モリスの弟レオポルド・モリスとともに店をひきつでいきました。

タバコ店は、残されたレシピを忠実に再現することで、熱狂的なファンがついていきます。商売は順調に推移していきました。

7年後には、弟レオポルド・モリスは未亡人から店の権利をすべて買い取りました。

さらに、コルクの喫い口をつけた新製品を開発します。弟レオポルドは、その見本を無料で送り『この商品は唇に贅沢で、舌と喉のいがらっぽさをすべて防ぎます』と宣伝していきます。

新製品は、消費者から好評を博していきました。

倒産

すべてが順調に進んだかに見えました。

しかし、その後、弟レオポルド・モリスはオペラ歌手と色恋沙汰となり、業績は悪化の一途をたどります。1894年、ついに店は債権者に差し押さえられ事実上倒産となったのです。

統計学者ナイチンゲール

『私は地獄を見た。私は決してクリミアを忘れない』

話を再び、ナイチンゲールに戻していきましょう。

母ファニーと姉バースは、フローレンスとの再会を涙ながらに喜びます。そうして、『これでフローレンスも満足したことでしょう。これからはいっしょに楽しい生活を送れる』と思い描きます。しかし、期待は裏切られることになるのです。

フローレンスは、母と姉との安穏とした生活を過ごすつもりは毛頭ありません。脳裏には、イギリス陸軍のずさんな管理により命を落とした兵士たちの墓標が離れることは無かったのです。

私は地獄を見た。私は決してクリミアを忘れない。

フローレンス・ナイチンゲール

フローレンスは、兵士の命を奪った陸軍組織を改革するため、命ある限り闘うことを誓ったのです。

しかし、陸軍省には何もかも忘れようという空気が充満していました。しかも、ナイチンゲールが陸軍のメンツを潰したと考え、疎ましく思う陸軍官僚も少なくなかったのです。

陸軍は、ナイチンゲールを避け無視を続けます。

ヴィクトリア女王の支援

思いもよらないところから援軍が来ます。ヴィクトリア女王がナイチンゲールとの会見を望んでいるというのです。

フローレンスは、またとない機会を最大限に生かすように精力的に資料ずくりに取り組みます。そうして、ヴィクトリア女王に面会しました。

当時、ナイチンゲール36歳。一方、ヴィクトリア女王は37歳。

女王はナイチンゲールをすっかり気に入り、最大限の協力を約束しました。ヴィクトリア女王は、幼少期より王女という身分から、打ち解ける親友がいるはずありません。

それ以降、女王はフローレンスと友人のように接するようになっていきます。

お忍びでナイチンゲール家の邸宅をしばしば訪れるようになり、さらには、馬車で散歩や王室のお茶会にも誘うようにもなったです。

陸軍改革

女王の後ろ盾を得たフローレンスは、各界から有識者をあつめ、陸軍の改革委員会を発足させます。その有識者から集められた資料を照らし合わせ、事実を究明していきます。少しでも疑問があれば、さらに調査を進めていくのです。

さらに、収集した膨大なデータを統計処理し、詳細な資料を作成していきました。素人の政治家にもわかるように、円グラフや棒グラフによって表現するという方法も考え出しました。

このように統計をグラフ化したのは、ナイチンゲールが最初だといわれています。

さらに、多くの兵士の死亡が、陸軍のずさんな管理であることを突き止めていくのです。

いつしか、文書は1000ページにもわたる報告書となりました。

そうして、政府内で、陸軍関係者への尋問が始まっていきます。陸軍関係者は、事態を曖昧にして逃れようとします。しかし、ナイチンゲールは検察官のように理詰めで矛盾点をついていくのです。

統計学者

そこから、統計学者ナイチンゲールの歩みも始まります。

かつてフローレンスが少女時代に魅了された言葉があります。

霜が降りなくなった日からの、一日ごとの平均気温の二乗を合計していき、それが4264になればライラックは開花する。

近代統計学の父 ケトレー

ケトレーは、近代統計学の父と言われるベルギーの数学者です。天文学や気象学をはじめ、多くの分野に統計的を導入し、統計学の黎明を築きました。

フローレンスは、少女時代からケトレーの統計学に魅了されて、クリミアにもケトレーの統計学書を持参していました。

そこから、ケトレーの研究を応用し、医学や看護データを統計的に処理していきます。史上はじめての統計のグラフ化をはじめ、データを元に有意差を計算し因果関係を特定までに発展させていくのです。

その手法は20世紀にさらに発展し、公害病の原因特定や、マーケティング、証券分析をはじめ、あらゆる分野に適応されていきます。さらには、当時は薬効が信じられていたタバコの毒性も暴いていくことになるのです。

「白衣の天使」ナイチンゲール-祖国イギリスでは統計学の先駆者として今も人々の記憶に刻まれています。

総理府統計局『ナイチンゲールと統計』

ケトレーが近代統計学の父なら、ナイチンゲールは近代統計学の母と行っても過言ではありません。

ナイチンゲールはイギリスの王立統計協会で初めての女性会員となります。

ロンドンで国際統計会議が開催された際には、ケトレーとともに病院評価のための統一的な基準を採択しました。

後年、アメリカ統計学界の名誉会員にも推挙されることにもなります。

重病

しかし、フローレンスを、高熱、動機、呼吸困難が襲います。背中や関節に激痛がはしり、寝返りをうつことすら困難になっていったのです。次第に意識を失い小康状態となっていきました。

病気は、クリミアの風土病であるブルセラ症と考えられています。それは、ブルセラ菌によって引き起こされる人畜共通の感染症で、現在では抗生物質により治療が可能です。しかし、当時はまだ細菌すら発見されてはいなかったのです。

辛うじて一命は取り留めたものの、その後は人生の大半を自室で篭もることになっていくのです。

『小陸軍省』

フローレンスは、仕事のためロンドンのホテルに移り住んでいきます。その中で膨大な業務を遂行していくのです。

いつしか、彼女の自室は『小陸軍省』と呼ばれ、イギリス政界に極めて大きな影響を及ぼすようになっていきます。

病身のフローレンスは、友人に会いにいくことも、パーティーに行くこともなくなります。しかし、世界各国の政府関係者や学者が面会に訪れるようになったのです。

余暇を満喫する母と姉

母や姉もホテルに移り住み余暇を満喫します。

フローレンス・ナイチンゲールの名は世界的に著名となり、ヴィクトリア女王とも親交を深まり、伝説的な存在となっていました。フローレンスの母や姉というステータスは絶大であり、社交界からひっきりなしに誘いが来ます。

そのような母と姉に、フローレンスは反発を抱きます。

かつて看護師を志した『私』も、世界各国から要人が訪れるようになった『私』も同じ『私』。なのに、どうしてこうまでも態度を変えるのか。

周囲との軋轢

自室に篭もったまま、膨大な執筆や、政府関係者への指示が発せられていきました。

もともと、フローレンスを駆り立てた背景にはキリスト教信仰があることは疑いありません。しかし、その宗教的情熱は、フローレンス近くの人間を容赦無く巻き込み、消耗させていきます。

幼少期からフローレンスのそばに付そっていた叔母も疲れはて離れていきました。

手伝いにきたいとこにも『あなたには、もっと自分の才能を生かせる仕事をしなさい』と冷たく家に帰します。

長期にわたり努めていた助手も静養のため仕事を辞しました。

過労で仕事が停滞したシドニー・ハーバート大臣には『重病といえども仕事はできるということはこの私 で証明済みなのだ』と容赦ない非難を浴びせていきます。

衰弱しきったハーバート大臣は、ついに51歳の若さで早逝しました。

『戦友』のハーバート死去の知らせを聞いたフローレンスは、茫然自失に陥っていくのです。改めて、ハーバートの存在の大きさを思い知るのです。

その時すでに、フローレンスの感情の起伏が激しく攻撃的な性格から、多くの人が去っていました。

つづく

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