前回、テンプルトンの姪ローレンが、祝日のクリスマスを利用し、実家に戻っていたところまでのお話でした。そこで、ローレンはテンプルトン叔父の投資リストを眼にします。
当時1999年のクリスマスシーズン。ニューヨークは未曾有の好景気に酔いしれていました。しかし、その投資リストは、年明けから開始される『空売り』候補だったのです。
目次
『空売り』
『空売り』の仕組み
『空売り』とは、手元にない株式を、証券会社から借りて売り、その後に株価が下落したところで買い戻して利益を得る手法です。
『空売り』によって、株価が下がるときでも利益を出すことができるのです。
株価1000円で1000株空売りすると、代金100万円が手にはいります。株価が800円に値下がりしたときに1000株を買い戻すと、代金80万円を支払うことになります。そうして、差額20万円が手元に残ります。これが空売りによる利益です。
危険な『空売り』
しかし、空売は極めて危険な手段でもあるのです。
100万円で株を買った場合に、倒産したとしても損失は100万円に留まります。しかし、空売の損失には上限がありません。100万円で空売りした株が、高騰するなら300万円や1000万円で買い戻せざるを得な場面も出てきます。
今までも、多くのトレーダーが空売りで破滅に追い込まれてきました。
ITバブル空売りで姿を消した投資家
1990年代後半のITバブルでも同様です。
ハイテク株は、まさに暴走列車と化し、会社名にドットコムがつくだけで、株式市場から大量の資金が流れ込んでいました。そうして、確固たる実態のない企業がとてつもない株価に暴騰していたのでした。
そこで、多くの投資家が空売りを試みました。しかし、暴走列車に身を乗り出すかのように、ひき殺されるか、再起不能の重傷の陥り、株式市場から姿を消していきました。
ヘッジファンドの帝王
ジョージ・ソロスの参入
ヘッジファンドの帝王と異名を取る投機家も、ハイテク株の空売りに参入することになります。
ジョージ・ソロスです。
ソロスは、異常な株価高騰から、バブル崩壊の予兆を感じとります。そうして、1999年年明け早々に、空売りを開始していくのです。
ナチスと共産主義に支配された幼少期
ここで、ジョージ・ソロスの半生を簡単に振り返ってみましょう。
ソロスは、1930年にユダヤ系のハンガリー人として生まれます。父は裕福な弁護士であったものの、1941年、独ソ戦が始まるとともに、祖国ハンガリーはナチスドイツの支配下になります。
ユダヤ人であるソロスは、10代前半という多感な時期に、ナチスのユダヤ人狩りから、転々と逃げ回る日々を送るこことになるのです。
1944年10月、反撃に転じたソ連軍が、ハンガリーの首都ブタペストに侵攻しました。4ヶ月にも及ぶ過酷な市街戦が展開され、ソロスは命からがら生き延びることになります。ナチス敗北後、祖国ハンガリーは、ソ連の支配下となり共産主義の恐怖支配のなかで過ごすことになるのです。
イギリスでの異邦人
大戦終結し2年経過した1947年、ソロスは無一文でハンガリーを脱出し、イギリスに渡りました。イギリスでは、ロンドン大学のカレッジに通いながら、学費と生活費を工面するため、昼は鉄道駅で貨車の積み込みの重労働をし、夜はウェイターをしてしのぎます。
卒業後、金融業界への就職を希望するものの、異邦人であるユダヤ系ハンガリー人が採用されるはずもありません。イギリス北部の寂れた町で、記念品や宝飾品などを販売するセールスマンとなって生計を立てていくのです。
23歳になり、ハンガリー人が採用担当官であったことから、ロンドンの金融機関に採用されました。しかし、単調な事務処理はソロスにとってもっとも苦手な仕事です。結局、3年でクビになります。
トレーダーとしての台頭
その後、当時の同僚からの紹介でアメリカのメイヤー証券会社で職を得ます。ソロス26歳の時です。そこで、石油のトレーダーを任されたことでソロスの人生は一変します。トレーダーとしての天賦の才能に気づくことになるのです。
目覚ましい実績を上げたソロスは1969年、39歳のとき独立を決意します。そうして、ヘッジファンドとして史上最大級の成功を収めることになるクオンタム・ファンドをスタートさせたのです。投資対象は、商品、通貨、株式、債券のすべてにわたります。しかも、レバレッジをかけた取引や空売りのような極めてリスクの高い運用を常とするのです。
クオンタムファンドは、10年で年利44%のリターンをはじき出し、10年で資金は40倍にも上昇しました。
『ニフティフィフティ』空売り
ソロスの代表的なトレードを見てみましょう。
1970年代前半に、ポラロイドやゼロックスのハイテク銘柄を中心に、『一度買ったら永久に売る必要のない』50種の成長株が『ニフティフィフティ』と賞賛され、バブルが形成されていました。
1974年に、ソロスは、ポラロイド、エイボン、ディズニーをはじめとする『ニフティフィフティ』株の空売りを行います。その後、ニフティフィフティは大暴落し、ソロスの名は世界に轟きました。
ブラザ合意での円買い
ソロスは、1985年のプラザ合意でも巨万の富を稼ぐことになります。
G7でプラザ合意が成立し、円高に誘導されることになります。ソロスは、最大級のレバレッジをかけて円買いを進めました。1年で1ドル260円が140円にまで進行し、ソロスはまやもや莫大な利益を手にします。
日本株バブルへの空売り
さらに、強い円を求めて、世界中の富が東京に集中し、日本はバブルの時代に突入します。
ソロスは、異常な株高から日本株崩壊を感じ取ります。そうして、1989年に空売りを開始するのです。その後のバブル崩壊で、またもやソロスは巨額の利益を得るのです。
『イングランド銀行を潰した男』
1992年には、『イングランド銀行を潰した男』と伝説となるトレードを行います。
当時イギリスは、EU参加を決め、ポンドからユーロへの移行のため、ヨーロッパ大陸諸国と通貨レートを固定する協定に合意していました。
しかし、イギリスは深刻な不況下に陥り、ポンドには一貫して売り圧力にさらされていたのです。これ以上ポンド安を放置できないイギリス財務省は、ポンドを買い支えたるとともに、イングランド銀行も公定歩合を10%から12%に引き上げました。
『当時のイギリスの実質GDP成長率は1%にも及ばない。にもかかわらず、10%を超える金利政策をとるなら、いずれボンドは破綻する』
ソロスはそのように考え、大量のポンド売りを開始します。その額は100億ドル(1兆円)の規模にも達しました。
怒濤のポンド売りの前に、イギリス政府も支えることが不可能となり、通貨協定は破綻します。ポンドはさらに価値を下げ、ソロスは20億ドルもの利益を手にしました。
ハゲタカ
その後、市場崩壊のたびに、ソロスの関与が噂されるようになっていきます。ソロスは、市場の死臭をかぎつけるハゲタカのように不吉な前兆として恐れられていくのです。
1996年に出現した東南アジアの通貨危機でもソロスの関与が取り沙汰されました。
1998年のロシアのデフォルトでも、ソロスが影が現れました。
ジョージ・ソロス VS ジョン・テンプルトン
ハイテク株への空売り
ソロスは、次の餌食を米国ハイテク市場に定めます。
『ニューヨーク市場は、ちょっとはおかしい』
ソロスは実態のないハイテク企業が、異常な高値に達したことから、バブルの崩壊が近いと考えます。
そうして、1999年の年始に空売りを開始するのです。
しかしながら、ソロスの思惑をよそに、NASDAQの熱狂は暴走列車のように高値を更新していくのです。NASDAQ指数は1年で40%近い高騰を続け、さしものソロスは1999年の年末になって空売りポジションを解消したのです。
ソロスは莫大な損失を負うことなりました。
方向転換
ソロスは方向を転換します。
『ハイテク株相場はいま8回の裏を終えたところ。9回がまだ残っている』
ソロスは最後の9回の表で、いままでの損失を取り戻ることができると踏んだのです。
テンプルトンの空売り
一方、そのころジョン・テンプルトンは、NASDAQ崩壊を予想し、空売りリストを作成していました。
当時、クリスマスシーズンのニューヨークは、空前の繁栄に酔いしれていました。テンプルトンの姪ローレンは、そのリストを眼にしたのもその時です。
年のあけた2000年、ソロスはハイテク株の買い進めてきます。
逆に、テンプルトンは、ハイテク株の空売り開始していくのです。
最高値となるNASDAQ指数
3月初旬、NASDAQ指数は5000を超えます。年末から3ヶ月で25%も上昇したのです。運命の女神は、ソロスに微笑むかに見えました。
ニューヨークには春の足音が聞こえ、街を行きかう人々も未曾有の株高で幸福感に満ちあふれていました。
強気相場は、悲観の中に生まれ、懐疑の中に育ち、楽観の中で成熟し、幸福感の中で消えていく。
ジョン・テンプルトン
しかし、ハイテク株の栄華は、まさに『幸福感の中に消えていく』ことになるのです。
バブル崩壊
3月20日、アメリカの金融誌『バロンズ』から衝撃的な記事が発表されます。
インターネット企業の1割が半年以内に資金ショートが出現するというのです。さらに1年後には、25%のネット企業の資金が経営危機を迎えるということでした。
『バロンズ』の記事は衝撃をもたらし、ネット企業への警戒感が広まります。投資家は一斉にNASDAQ市場から資金を引き上げていきました。
3月末から、怒濤の勢いで株価が下落していきます。
4月14 日、市場最大の暴落がニューヨーク市場を襲います。NASDAQ指数は1日で10%も下落し、3321ポイントまで下落しました。3月10日の最高値から、実に1ヶ月で35%も下落したのです。
ITバブルでは、新興のネット企業ですら、ベンチャーキャピタルや投資家から、無尽蔵に資金が流入していました。
しかし、ハイテク市場の崩壊により、一転して資金の悪化が表面化していくのです。
続発する破綻
8月になり、ネット企業が次々と破綻していきます。
8月11日、インターネット小売業で急成長したバリュー・アメリカが破産申請をしました。
8月15日には、オンライン家具販売大手のリビング・コムが破綻します。
優良企業の暴落
IT企業というだけで、例え優良企業であっても投資家から敬遠され、軒並み暴落していきます。
Microsoft(MSFT)ですら株価は70%以上も下落しました。
シスコシステムズ(CSCO)もまた最高値から80%以上も下落します。
粉飾決算
さらに、かつて投資家から尊敬を羨望を浴びた優良企業の粉飾決算も明らかになっていきます。
アメリカで最大級のエネルギー企業エンロンは、ITにも参入しめざましい実績を上げていました。しかし、その実績の大半は架空取引や、デリバティブ取引であったことが白日の元に晒され破綻します。
世界的通信企業ワールドコムも破綻します。前記事で、『バフェットさん、わかった?』と言い放った元ソーシャルワーカーの主力銘柄に他なりません。ワールドコムは、株式市場の崩壊により粉飾決算が表面化し追い込まれていったのです。
莫大な損失を抱えたソロス
帝王ジョージ・ソロスも、運用総額100億ドルから60億ドルもの資産を失うことになります。それはITバブル崩壊によって損失を被ったあらゆるファンドの中でも最大の損失額だったのです。
百戦錬磨の投機家ソロスも、齢70歳。かつての冴えわたる判断力が失われ、衰えを隠せなくっていたのです。ITバブル崩壊で手痛い失敗を負ったことから、その後勝つことよりも負けない保守的な取引に徹することになるのです。
利益を積み上げたテンプルトン
一方、テンプルトンが空売りした銘柄の大半は、95%以上下落することになります。多くの投資家が、莫大な損失をかかえ、株式市場から容赦なく打ちのめされる中で、テンプルトンの元には、膨大な利益が積み上げられたのです。
テンプルトンは、莫大な利益を得た後も、慎ましい生活を続けます。その利益の大半は、マザーテレサの後継団体をはじめとする慈善活動に投じられたのです。
今回、ITバブルの時代のテンプルトンの投資を紹介しました。しかし、テンプルトンの投資からは、それ以外でも私たち長期投資家が学べることは少なくありません。いつかまた別の機会に紹介していきたいと考えています。
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